あるところに
一山のお寺がありました。
昔々、
三人の小僧さんが暮らしておりました。
そのもとで修行に励む
厳しくもやさしい和尚さまと、
そこには
ただ、ひとつだけ、
それは、どこにでもある普通の風景でした。
ほかのお寺とは大きくちがうところがありました。
小僧さんのひとりが、
のっぺら坊主だったのです。
作・みやかけお(ザ・ガーベージ・コレクション)
のっぺら小僧譚
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「ではこれから出かけてくるのでな。前から申してあるとおり明日の昼までは戻らん。お主ら、儂がおらずとも普段通りに過ごすのだぞ。努、羽目を外すようなことがあってはならんぞ」
そう云って和尚さまは、集落のある村へと山を降りて行きました。
ある日のことです。
小僧さんたちは和尚さまの云い付けを守り、普段通りの生活を心がけました。
ただし、昼間のうちだけは。
修行中の身とはいえ、まだ年端も行かない小供たちです。
日が暮れ時になり、普段であれば布団を川の字に並べて敷くところ、今日に限っては巴寝に敷きます。
そうして頭を突き合わせるようにして寝転がり、いつ終わるとも知れないおしゃべりに興じていました。
和尚さまがいないという滅多にない日、その浮かれ気分に勝てるはずがありません。
「のっぺらちゃんの顔に絵を描いてみようよ」
すっかり夜も更けた頃になって、三人のなかで一番の年嵩の小僧さんが、こんなことを云い出しました。
のっぺら小僧は、うんうんうん、となんどもうなずきました。
年若の小僧さんが駆け出して行き、筆と墨、硯を抱えるようにして持ってきました。
年嵩の小僧さんは筆を取り上げると、その毛先にたっぷり墨をつけ、のっぺら小僧の顔の上にさらさらと筆を走らせました。
へ
の
も
そうして二人が笑い終わる頃になると、のっぺら小僧の顔に描かれた”へのへのもへじ”は、音もなく、すぅ、と消えてしまいます。
へのへのもへじが描き込まれたのっぺら小僧の顔を見て、二人の小僧さんはお腹を抱えて大笑いをしました
そう云って年若の小僧さんが筆を取り、のっぺら小僧の顔の上で筆を振いました。
目も鼻も口もすべてが出鱈目で、まるで失敗した福笑いのようになってしまいました。
「こんどはぼくが描く」
けれどもまだ幼いために、上手に描くことができません。
それを見た小僧さんたちは、さらに大きな笑い声を上げました。
「どうしたの」年若の小僧さんが尋ねます。
そんなことを半刻ほど繰り返した頃でした。
年嵩の小僧さんがふっと笑いを止め、真剣な面持ちで何かを考え込み始めました。
年嵩の小僧さんはそれには答えず、真剣な表情のまま、筆を走らせました。
「これは……誰?」年若の小僧さんが再び尋ねます。
そこには、厳しい表情をした、大人の男の人の顔が描かれていました。
「俺のおとうだ。俺が小さい頃に死んでしまったんだ」
年嵩の小僧さんは、呟くようにそう云いました。
楽しかった雰囲気は消え、みんなしんみりとしてしまいました。
その時です。
まるで後光が射したように、全身から光を発しているのです。
光はどんどんと強くなっていきました。
「見て! 見て! のっぺらちゃんが!」
その眩しさに耐えきれなくなり、二人の小僧さんたちは、ぎゅっと目を瞑りました。
突然、年若の小僧さんが叫び声を上げました。
見ると、のっぺら小僧の体が光を放ち始めていました。
小僧さんたちが恐る恐る目を開くと、のっぺら小僧の姿がなく、そこにひとりの大人の男の人が座っていました。
どのくらいの時間が経ったのでしょう。
男の人は厳しい顔つきをしていましたが、その目はとても優しく、年嵩の小僧さんのことをまっすぐに見つめていました。
男の人は少し微笑むと、優しい声でこう云いました。
「久しぶりだな、坊よ」
「おとう!」
男の人は、小僧さんの頭を優しく撫でながらまた声をかけます。
そうして、わあわあと声をあげて泣きました。
「おとう! おとう! おとう!おとう! 会いたかったぞ、おとう……」
「おとう! もうどこへも行ってくれるな! ずっと一緒にいてくれ! おとう! おとう!」
年嵩の小僧さんの目に、みるみるうちに涙がたまり、やがてあふれ出しました。
年嵩の小僧さんはそう叫ぶと、男の人に抱きついていきました。
「元気で暮らすのだぞ、坊よ。和尚さまの云うことをよく聞くのだぞ」
「こらっ!
なにをやっておるか!
突然、本堂に和尚さまの声が響き渡りました。
年若の小僧さんが一生懸命に訴えます。
「……小僧とのっぺらが抱き合っているばかりではないか」
「遊んでいるのではないのです。いま、おとうがやってきたのです」
「兄弟子のです。ご覧ください、ああして抱き合って喜んでいます」
年嵩の小僧さんがわあわあと泣きながらのっぺら小僧にむしゃぶりついているばかりでした。
「思いの外、用向きが早く済んだからと慌てて帰ってきてみれば……まったく! こんな夜更けまで遊んでおってからに!」
「おとう? 誰の父上がやってきたというのだ」
年若の小僧さんが振り返ると、男の人はもういなくなっていました。
「嘘ではないのです。嘘ではないのです」
それからしばらく、和尚さまと年若の小僧さんの間で、押し問答が繰り返されました。
「なにを首をかしげておる。どうしてお主らはそのような見えすいた嘘をつくのだ」
けれども和尚さまはまともに取り合ってくれません。
「あれっ」
年若の小僧さんはいま起こったことを一所懸命に説明をしました。
そのまま和尚さまの前に歩を進めますと、そっと筆を差し出しました。
のっぺら小僧は大きく頷きました。
見かねたようにのっぺら小僧が立ち上がりました。
和尚さまが尋ねました。
和尚さまは、のっぺら小僧の顔の上で、迷いなくさらさらと筆を走らせました。
「儂に描けと云うのか」
「ふむ……よろしい。ならば描いてしんぜよう」
のっぺら小僧の顔には、可愛らしい猫の顔が描かれていました。
和尚さまが云い終わらないうちに、のっぺら小僧の体が光を放ち始めました。
「なにがずるいのだ」
「和尚さま、それはずるいです」
「わしがいまいちばん会いたいのは、この……」
和尚さまはしばらく唖然としたまま、足元の三毛猫を眺めていました。
三毛猫は「にゃあ」とひと声なくと、和尚さまの足元に寄り添っていきました。
「ごめんね、みーこちゃん……あのとき、助けてあげられなくてごめんね……」
光がおさまると、のっぺら小僧は小さな三毛猫に姿を変えていました。
それからそっとその猫を抱き上げ、愛おしそうに頬擦りをしました。
山の狸や狐が知らせたのでしょうか。
どの人も、二度と会えないと思っていた人や物とふたたび巡り会えたことに、涙を流して喜びました。
たくさんの人々がのっぺら小僧の不思議な力を頼り、いまは会えなくなってしまった誰かとふたたび巡り会い、いまでは手にすることができなくなってしまったなにかをふたたび手にとりました。
とはいえ中には、かつてしていた喧嘩の続きをいまここで、とばかりに、再会した人に悪口を云う人、取っ組み合いを始める人もいたのですけれど。
のっぺら小僧の不思議な力は、やがて人々の知るところとなりました。
そうしてのっぺら小僧の不思議な力が解けると、こんどは離れ難いと云ってまた涙を流しました。
そんな毎日が、いつ終わるともしれないまま、続いていきました。
のっぺら小僧の不思議な力は、それに触れた人の口を伝わり、さらにたくさんの人々が知るところとなりました。
そうして毎日毎日、数え切れないほどの人々が、このお寺を訪れるようになったのです。
のっぺら小僧も、境内の掃き掃除をしています。
ある春の日のことです。
今日もまた、人々を迎え入れる支度を整えるため、小僧さんたちは朝から忙しく立ち働いていました。
のっぺら小僧の頭の上に、一枚の桜の花びらが舞い落ちてきました。
のっぺら小僧は掃除の手を休め、満開の桜をじっと見つめていました。
桜の木には、満開の花が咲き誇っていました。
のっぺら小僧はふっと顔を上げて、傍にある大きな桜の木を眺めました。
その時でした。
男はひと目で浪人ものとわかるひどい身なりをしていました。
脇に刀こそさしてありましたが、着物は薄汚れてあちこちに穴が開き、袴は裾が擦り切れています。
髪の毛はざんばらに乱れ、顔といわず腕といわずその肌は煤けたように黒ずみ、身体中から嫌な匂いが漂っています。
物陰から一人の男が音もなく現れ、のっぺら小僧の前に立ちはだかりました。
生きながらにして死んでいる人のようでした。
その男は、まるで、
男は、のっぺら小僧を真っ直ぐに見つめました。
のっぺら小僧も、真っ直ぐ男の方に顔を向けています。
そのまま、どのくらいの時が過ぎたでしょう。
やがて男が、くぐもった声でこう云いました。
しばらくの間、そうして二人は互いの顔を見合っていました。
なぜ、別れの辛さをふたたび与えるのだ……」
「なぜ、思い出させる……
なぜ、思い出させた……
のっぺら小僧は少しのあいだ男を見つめてから、小首を傾げました。
それが合図であるかのように、男はそっと刀の柄に手をかけました。
男は、のっぺら小僧を袈裟がけに斬り捨てました。
のっぺら小僧は大きくのけぞってから、まるで舞を踊るようにきりきりと体を回転させながら、ゆっくりとその場に崩れ落ちていきました。
男は、倒れたのっぺら小僧の姿をしばらく見下ろしていました。
その顔には、表情というものがまったくありませんでした。
やがて男は、のっぺら小僧に背を向けると、ゆらゆらとした足取りで山道を下りて行きました。
小僧さんたちも和尚さまも、動くことができませんでした。
境内はしんと静まり返っています。
やわらかな春の風に吹かれ、枝を離れてゆっくりと舞い落ちる桜の花びらだけが動いていました。
しかし、のっぺら小僧はすでに息絶えていました。
本堂からこの様子を見ていた和尚さまは、のっぺら小僧に向かって静かに手を合わせました。
「のっぺらちゃん!」
我に返った小僧さんたちが、慌てて駆け寄ってきました。
あくる日、小僧さんたちと和尚さまは、境内の隅にのっぺら小僧のなきがらを埋め、そこに小さな墓しるべを建ててやりました。
のっぺら小僧の墓しるべと、その傍に立っている小僧さんたちと和尚さまに、桜の花びらが一枚、また一枚と降り注いでいきました。
のっぺら小僧の力に触れた大勢の人々もやがていなくなり、のっぺら小僧とその力のことが、人々の口の端にのぼることもなくなりました。
でも、のっぺら小僧の墓標はあの日のまま、境内の隅に変わることなく建てられてありました。
あれから、長い時間が過ぎました。
修行を終えた小僧さんたちは疾うにお寺を離れ、和尚さまも天寿を全うしました。
春になって桜が満開になるたび、やわらかな春の風に誘われ、枝を離れた桜の花びらが、のっぺら小僧の墓標に舞い落ちていきます。
まるで、のっぺら小僧にふたたび会おうとするかのように。
あの日と同じように。
おしまい