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逃げられない。

期待とあきらめと。

すべては終わる。

明日なんか来なければ。

死んでしまいたい。

生きていく意味。

心が痛い。

誰も判ってくれない。

 

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 2019年4月5日

逃げられない。

 もう観念するしかないのだろう。

 中学生になれば、いままでのいじめられっ子の生活から解放されると思っていた。だから、その為に猛勉強をしていまの学校に入った。

 でも、それは甘かった。ここでも、私はいじめに遭う。

 入学式が終わった後、初めて教室に入ったら、黒板に大きくここのURLアドレスがかかれていた。わたしは、これからわたしにされるいじめを思って暗い気持ちになるのと同時に、これまでの疑問の答えを見つけた気がした。

 そうなのだ。私がいままでいじめられてきたのは、ブログのせいだったのだ。

 幼稚園の頃から不思議だった。みんな、わたしが挨拶をしないうちから、わたしのことをいろいろ知っている。はじめてあった同級生なのに、わたしの誕生日のことや、それ以後のことを事細かに知っている。それがいじめの材料になる。

 なんでみんなわたしのことをそんなに知っているの? それとなく母親に尋ねたこともある。母親は「大きくなれば判るよ」と言うだけで何も教えてくれなかった。

 前の日に、我が家で起きたことを材料にしてわたしに罵詈雑言を浴びせる同級生の男の子。なんで知っているの? いじめられたその悔しさ以前に不思議だった。

 

 わたしは母親からそう言われたように、このblogでは、個人が特定できるようなことは一切書いていない。

 ところが、母親や父親はわたしの行動や、我が家の出来事を事細かにアップしている。

 わたしは今日、禁を破って母親と父親のブログを見ました。卒倒するかと思った。わたしと家族しか知らないはずのことが、詳細に記載されている。ていうか、知らないこともたくさんかかれている。

 わたしの誕生はもちろん、幼少時の恥ずかしいエピソードなどが懇切丁寧にかかれていて、とくに初潮を迎えた日など、まるで、国民の祝日にでもなりそうな勢いでかかれている。卒倒するなという方が無理だ。

 もう止まらなくなったわたしは、更に遡って読み続けた。両親の結婚(入籍)の日はもちろん、二人がまだつきあっていた頃のブログなんて読んでいるだけで顔から火が出る。わたしが浴びせられた悪口雑言の中で、意味不明だったものの大半が、この時期の、わたしが産まれる以前に書かれたブログを材料にしていることも判った。なにしろ結婚前のブログでは、二人が競い合うようにして、アクセス数ほしさにこれまでの性体験をどんどん書きつづったりしていて、なんだか、両親への尊敬の思いがいっぺんに消えてしまった気がした。わたしが産まれた後も、浮気や離婚の危機を事細かに書いたりしている。これが同級生の親のブログだったら、わたしだってその子をからかいたくなるだろう。

 

 

 毎日、数万数十万という人々が、わたしたちの生活をのぞき見しているのだ。まるで、コンビニに立ち寄り雑誌を立ち読みするかのように、父親の過去の不倫を、母親の若い頃の性生活を、わたしの初恋の相手のことを、見ているのだ。

 そして、両親は、その関係を嬉々として継続している。

 

 わたしはこれからもいじめられ続けるのだろう。だけど、ここからは逃げられない。たとえ転校をしたところで、引っ越しをしたところで、わたしとわたしの家族をとてつもない数の人間が知ってしまっている。その人間は全国、いや、全世界に散在してわたしを待ちかまえている。げんに今朝、電車通学中にも、わたしに向かって笑いかける人がたくさんいた。みんな、わたしのことを知っているのだ。両親がかつて公開したわたしの写真や動画によって、わたしの容姿を知っているのだ。全世界の人たちが、わたしとわたしの両親について、本来知るはずのないことまで知っているのだ。

 

 そして、私がいじめられていることを、ブログを通じ、世界中の人が知っているのに、わたしのブログを見ていない両親だけが知らない。本当に知っていなければならない人たちなのに。

 

 信頼、っていったい何ですか。

 

 親子、っていったい何ですか。

 

 守るべきもの、っていったい何ですか。

 

 家族間の秘密が、世界中に漏れている。だが、その漏洩を目の前にいる家族は知らない。

 

 わたしはいったい何なんですか。

 

 なぜ、自分たちの生活を、ブログの材料になるか否か、でしか判断できなくなってしまったのですか。

 

 なぜ、わたしの命名を、家族に知らせるよりも先に、ブログで発表してしまったのですか。

 

 

 

 もう、どこへも逃げられない。

 

 

 たとえ、この世の外に逃げたところで、わたしの両親は、それすらもブログの材料にしてしまうだろう。そして、世界中に散在するわたしたちのブログを知る人たちが、悲しみのコメントやトラックバックを寄せるのだろう。

 

 

 もう、どこへも逃げられない。

 

 

Posted by Mizuki at 23:55 | Comments(27213) | TrackBack(11284)