つぶやきの街2

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ここに真実を書き記しておく 信じるか信じないかはそっちに任せる

1:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)03:12:21:13 ID:E76YH8LN


昨日、一日の間に俺の身に起こったことを包み隠さず書いておく。
チラ裏で申し訳ないが、よかったら最後まで付き合ってくれたら嬉しい。
そうはいっても状況が差し迫っているから、最後まで書ききれるかどうかわからないが・・・。

*****

俺は、小規模ながら貿易会社を経営している男だ。
年齢はそろそろ中年にさしかかろうかというところで独身。
傍目には気ままな独り暮らしを続けているように見えるだろう。

商売のほうは、表向きは堅調だ。
「表向き」とわざわざ断りを入れたのには理由がある。
俺の会社が商っているのは自動車だ。日本の自動車を調達しては海外に輸出している。

だが、その自動車というのは基本的に盗品で輸出をする先は北にある某国だ。
つまり、俺がやっていることは基本的には犯罪行為ということだ。
その犯罪行為を隠蔽するために会社組織を立ち上げ、表向きは貿易会社を装い盗品の取引をしている、ということだと思ってくれればいい。
さすがに盗品の輸出先について具体的な国名をここに書いてしまうと、いろいろとややこしいことが起こるだろうから書かないでおく。

2:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)03:24:43:59 ID:E76YH8LN


俺たちが主力の商品として取り扱っているのが自動車、それも電気自動車だ。
世界的に化石燃料が高騰している現在、ガソリンを一切使わない電気自動車は世界中から引く手あまただ。
かなり吹っ掛けた価格を設定しても瞬く間に注文が入り捌けてしまう。

俺が主に取引をしている国の中にはけして電力事情が良いとは言えないところもある。
だが、そんな国々からも一握りの富裕層や政府高官などがこぞって買い求めてくる。どころか寧ろ、そうした国の人々のほうが前のめりになって注文を寄せてくる。予約もほとんどがそうした国の人々からだ。

まあ、ボロい商売と言っていいだろう。
なにせ元手がほとんどかからないのだから実入りがいいことこの上ない。

3:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)03:31:03:51 ID:E76YH8LN


今回の話の発端はひと月半前に遡る。

7月初旬、俺たちの元に、マイティメガモール南堵洛でヨコタ自動車の電気自動車が展示されるという情報がある筋からもたらされた。

世界随一の技術力を誇るヨコタ自動車の電気自動車だ。これを盗みだすことが出来れば、在庫があるという情報を流した途端に世界中から注文が殺到し相当な高値で売り飛ばすことが出来るはずだ。
しかも、今回の展示はあまり大規模なものではないため比較的警備も手薄になるという。
展示される車は一台限りで説明につくセールスマンも一人だけ、さらにはそのセールスマンが展示車の搬出入まで務めるという。

すなわち、盗難を企画する俺たちにとってはこれ以上ない好条件が揃っている。

展示は9月半ば。ひと月半もあれば準備期間は充分だ。

俺たちは早速、電気自動車の盗難計画を立て始めた。

4:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)03:42:09:21 ID:E76YH8LN


集めた情報によれば電気自動車の展示は9月13日から15日までの3連休に併せて展示される。
通常はヨコタ自動車販売具見原という常設のショールームに展示されている電気自動車ウルグスがマイティメガモール南堵洛に移動・搬入され、展示が行われる。
電気自動車の搬入は9月13日の朝。具見原のショールームからショッピングモールに、展示車の説明に当たるセールスマンが直接運転をして搬入をする。
搬入の歳に特別な警備が取られることはなく、マイティメガモール南堵洛に通常敷かれている警備体制がそのまま適用される。すなわち、ショールームからモールまでの移動の際、車のそばにはセールスマンが一人いるだけということだ。道中には警察署もなく盗難に際して障害となる要素は極めて少ない。
ショールームからモールまで滞りなく移動した場合で約30分といったところだ。今回の警備体制や道路状況など諸々の条件から考えれば盗難には充分足る時間だといっていい。

俺たちはひと月半を費やし綿密な計画を立てた。その詳細をここに記している時間はないから差し控えておくが、結果的にまあまあ齟齬がないと言っていい計画を立てることができた。

5:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)03:54:10:37 ID:E76YH8LN


昨日、すなわち9月13日朝6時半、俺たちは予てからの計画通りに行動を開始した。

実行犯は俺を含めて3人。俺たちの本社ビルがある東京東都葦原区から1台の車に同乗して出発した。

具見原のショールーム付近に到着したのは6時55分頃。路地のようになっている目立たない場所に車を停め、そこで電気自動車がモールに向けて搬出されるのを息を潜めるようにして待った。
午前9時頃になってようやくショールームからモールに展示される電気自動車が搬出され、移動を開始した。

俺たちは気付かれないように距離を取りながら慎重に後をつけていった。
電気自動車は快調に走り続け、やがてショールームとモールとの中間地点になる臍久田市・鯖蔵にさし掛かった。この辺りはこれから再開発が行われれようとしているところだからだから、いまはほとんどの人家が立ち退きひと気が少なくひっそりとしている。

ずっとその機会を伺っていた俺たちはここぞとばかりに電気自動車に近付き、その前に割り込むようにして強引に停車させた。

間一髪のところでブレーキを踏み、何事かと不安そうな様子で電気自動車から降りてきたセールスマンに対して、俺たち実行犯3人の中でもっとも腕っ節に自信のある奴があっという間もなくその土手っ腹にパンチを叩き込む。

うっ、という呻き声をあげてセールスマンは口から泡を吹きつつその場に崩れ落ちてしまう。気を失ってしまったセールスマンを素早く縛り上げると、俺たちが乗ってきた車のトランクに放り込んだ。

仲間の2人はそのまま俺たちの車に乗り込む。俺は電気自動車に乗り込みエンジンをスタートさせる。
シュルルン、という電気自動車特有のエンジンの起動する音が耳に心地よく響いてくる。

これからこの電気自動車を隠し場所に予定している港の倉庫に移動して……と、これから為すべき事柄が頭に浮かび始めたところで、仲間の2人突如として思いも寄らないことを口走った。

車が動かない。

俺たちが乗ってきた車がエンストを起こしたのである。

6:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)04:11:14:27 ID:E76YH8LN


俺たちは代わる代わる狂ったようにキーを捻るがセルモーターはウンともすンとも言わない。

時間ばかりが過ぎていく。いくらひと気の少ないこの近辺とはいえ、少し離れれば住宅が建ち並んでいるのである。いつ、人に見られるかわかったものではない。

俺たちは車を乗り捨てることにした。
幸い、この車は盗品だからたとえ俺たちがここに乗り捨てていったとしてもここから簡単に足がつくことはないだろう。

トランクに放り込んだセールスマンを引きずり出して、こんどは電気自動車のトランクに放り込み直す。まさかこいつを車と一緒に捨て置くわけにはいかない。下手に車と一緒に捨て置けばそこから足がつくのは必定だ。なにしろこのセールスマンは俺たちの姿をすっかり見てしまっているのだから。

当初の予定通り俺が電気自動車を運転して隠し場所に向かう。

後の2人は徒歩や公共の交通手段を使って隠し場所へ移動することにした。不格好なことこの上ないがこの際、体裁など気にしていられない。

俺たちはここでいったん別れた。

7:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)04:18:44:21 ID:E76YH8LN


俺は電気自動車を隠し場所に向けて発進させた。

最短距離を通るべく右へ左へと電気自動車を運転してゆく。

道中、道路工事をしている箇所に出会した。工事現場には迂回路が大書された看板が立てられているが、その通りに迂回路を辿っていたら隠し場所に到達するのが大幅に遅れてしまう。

俺は頭の中にあるナビで隠し場所までの最短となる迂回路を検索した。

これならまあそうは送れまいと思える迂回路に電気自動車のハンドルを切ってすぐ、また別の道路工事に遭遇した。

ちっ。

再び頭の中のナビで別のルートを検索してそちらの方角にハンドルを切る。

すると、また少しも走らないうちに別の道路工事に遭遇する。

ちっ。くそが。

この近辺ではこのところ再開発が盛んに行われている。その為に、方々で道路工事が行われているのだ。考えて見ればそもそも、この電気自動車が展示されるマイティメガモール南堵洛も工場跡地の再開発によって建てられたものだ。

そうして各所で行われている道路工事に翻弄されているうちにいつしか俺は渋滞に巻き込まれてしまっていた。

前後を多数の車に挟まれ身動きが取れない。車列は遅々として進まない。さすがの俺も気が焦ってくる。

8:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)04:25:14:51 ID:E76YH8LN


渋滞に巻き込まれてから十数分が経過した。このままでは埒があかないと、とある交差点にさし掛かったところでUターンする形で反対車線に侵入し、そのまま逆方向に走り始めた。

頭の中のナビはそっちへ行くなと言っている。だが、犯罪を犯した身で渋滞に巻き込まれ続けるのはさらにぞっとしなかった。

俺は必死になって頭の中のナビで検索をかけた。だが一向に隠し場所へのルートが検索されない。頭の中に点滅するエラーメッセージ。

俺はまるで助けを求めるように電気自動車に備え付けのナビを起動した。

ぷーん、というかろやかな電子音を響かせて画面に現在位置を表示したナビは、俺が何の指示もしないうちから「設定された場所にご案内します」と言って勝手に目的地を設定してナビを開始した。

焦るあまり気持ちが半ば捨て鉢になっていた俺は「俺たちの車がエンストを起こした時点で今回の計画は一部破綻しているのだ、それならばいっそこいつに身を委ねてみるのも一興か」と思って、ナビの命じるままに電気自動車を走らせた。

ナビは方々の道路渋滞を巧みに躱しながら俺を目的地に案内してゆく。

やがて、俺の目の前に巨大な、というより広大なと表現するべき建物が姿を現した。

そこはマイティメガモール南堵洛だった。

9:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)04:39:18:52 ID:E76YH8LN


いまになって考えてみればこれは至極当然のことだ。
そもそもこの電気自動車は、このモールに到着する予定でヨコタ自動車のショールームを出たのでだから、ナビの目的地がここに設定されていたとしても不思議はない。

しかしこのときの俺は完全に焦ってしまっていた。冷静さを失い、まるで何か見えざる力によってこの場所に引き寄せられたのではないか・・・そんなことすら考えてしまっていた。

俺は為すすべなく電気自動車をモールの正面入り口、エントランスに近づけていく。

すると、エントランスの中からスーツ姿の男があわてるように飛び出してきてこちらに駆け寄ってきた。男は、大きなジェスチャーで俺に向かって”止まれ”と指示をする。
ここで揉め事を起こすのは得策ではないと判断した俺は男に云われるままに車を停め、するするとウィンドウを開き、どうも、と曖昧な挨拶をした。

男は「遅かったじゃありませんか。もうすぐ開店の時刻になりますよ」と言った。
そう言われて咄嗟に時計を確かめると確かに時刻は午前10時まであと数分というところだった。

男の胸元には"広報部 黒磯針雄"と名札が付けられている。どうやらこのモールの関係者のようだ。
男はまっすぐな目で俺を見つめている。そこには一切の疑念は感じられず、完全に俺のことを電気自動車のセールスマンと思い込んでいるようだ。

考えてみればセールスマンに見えないこともない。俺たちは犯行に及ぶ際には必ずスーツを着用することにしている。なぜなら犯行および逃走の際に、スーツ姿がもっとも街に溶け込みやすいからだ。ジャージ姿など誰の目にもちんぴらと見えるような格好をしていては人目につき過ぎてしまう。

従って、いま俺の格好はどこにでも売っている吊るしのスーツを着たセールスマンに見えたとしてもおかしくはない。というか寧ろ、そうみせようと心掛けていたのだから。

俺をセールスマンと信じている男のまっすぐな眼差しを見つめながら、やはりここで下手に逃げ出したりして騒ぎを起こしてしまうのは得策ではない。

そう考えた俺はしばらくの間、電気自動車のセールスマンを装うことにした。「ああ、どうもすみません。渋滞につかまっちゃって」

すると男は明らかに営業用と見える微笑みを浮かべて言った。「とにかくここに車を置かれても困るんで、予定通りのところへ展示をお願いしますよ」

予定通りと言われても皆目見当がつかない。俺は条件反射のように聞き返してしまった。「すみません、どこに展示するんでしたっけ」

それを聞いた男はほんの少しだけ考えてから「わかりました」と言って、そうするのが当然であるかのような態度で助手席に乗り込んできた。

10:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)04:51:38:12 ID:E76YH8LN


「ここは広いんで、迷っちゃうといけませんから」そう言って男は恬然としている。

男はきっと面倒見の良い性格をしているのだろう。俺にとってこの親切はありがた迷惑以外の何物でもないが、やはりここで揉め事を起こすのは得策ではない。そう考えて俺は男のナビに任せて車を発進させた。

車はモールの外周に沿って3分ほど走り、目指す搬入口にたどり着いた。
そこで一旦車を停めると男は「じゃあよろしくお願いしますね」と言って車から降りていく。そうして搬入口の前で人待ち顔で立っていた制服姿の警備員に声をかける。
警備員は男に言われてすぐに通用口を開いた。観音開きになっている巨大な扉の向こうにモールの内部が垣間見えている。

男は警備員に二言三言言葉をかけてから通用口の中に消えていった。
警備員は俺に向かって満面の笑顔を作り「オーライオーライ」と手信号で自分の後についてこいと指示を出す。

その瞬間、ここで車を急発進させて逃亡を図ったら、という考えが頭に浮かんだ。

考えること数秒。

駄目だ。

この周囲ではいま方々で道路工事が行われていて、その為に各所で交通渋滞が発生している。よしんばこのモールから逃げ出したとしてもすぐに行く手を塞がれてしまうだろう。さらには予定通りにこのモールに電気自動車が搬入されないという連絡がショールームに入り、早晩、この盗難が露見することだろう。

というか既に当初俺たちが立てた計画は崩壊し掛かっているのだ。

もうどうにでもなれ。

俺は警備員の後についてゆっくりと通用口からモールに入っていった。

11:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)05:08:31:32 ID:E76YH8LN


身振り手振りでオーバーに行く先を示す警備員の後を時速2キロぐらいのスピードでついていくと、やがて車はモール内部のやや広くなっている場所に到着した。

そこには急拵えのような簡易なステージが設えられていて、ステージの背景となる部分に”究極のエコカー・完全電気自動車・ヨコタ自動車ウルグスご紹介中!"とスマートな書体で大書された看板が立てられていた。

警備員は俺に向かって円を描くようなアクションを見せる。俺はゆっくりとしたスピードを維持したまま車をステージに向ける。スロープになっている縁からステージに上がり細かいハンドル操作でステージの長手方向と並行になるように車を配置した。

エンジンを止めると警備員が近寄ってきて何か言いたそうな様子で運転席を覗き込む。ウィンドウを開けると「このモールにいる間はこれを胸に下げておいてください」と言って”マイティメガモール南堵洛・入館証”と書かれたネームプレートを手渡してきた。

そうか。俺はいまヨコタ自動車のセールスマンだと思われているのだったな。ネームプレートを受け取りながらぼんやりとそんなことを頭に思った。

こうなりゃ自棄だ。いっそヨコタ自動車のセールスマンのふりを通してやれ。そうしてこのままモールの営業時間が終わるまでやり過ごして、その後、車をショールームに持ち帰るふりをして何食わぬ顔をして持っていってしまえばいい。本物のセールスマンはいま縛られこの車のトランクの中で気を失っているのだ。先に隠し場所に向かった仲間にはどこかのタイミングで連絡を入れておけばいいだろう。

警備員はネームプレートに続いて俺にクリップボードを手渡してくる。そこには”入館記録”と題されたプリントが挟み込まれている。警備員は手数だがこれに名前と入館の時刻を記載してくれと言ってきた。

一瞬、焦りを感じたがそんなことはおくびにも出さず、ヨコタ自動車営業部・加納寺雄と出鱈目な名前と現在の時刻、午前10時2分と書き込んだ。ちなみに俺の本名はYから始まるから加納などと言う名前とはまったくつながりを持たない。ほんとうに咄嗟に思い浮かんだ字面を書き込んだだけだ。

俺は名前を書き終わりクリップボードを警備員に返す。受け取った警備員(たしか麦江田という名前だったように記憶している)は俺に一切の疑いを抱いていないようで、最後まで親切な応対をみせたまま去っていった。

見るからに実直そうな警備員の後ろ姿を眺めつつ、胸に入館証を忘れずに付ける。それから電気自動車から降りた。

12:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)05:18:41:56 ID:E76YH8LN


電気自動車から降りた俺に若い女が声をかけてきた。「今日はよろしくお願いいたします」
女性は純白でひどく未来的なデザインのスーツに身を包んでいてひと目でコンパニオンだと理解がついた。”モーターショーで自動車の脇に立って愛想を振りまいているコンパニオンの姿”と言われて多くの人々が連想する姿そのものである。

コンパニオンの女性は俺と目が合うと、更なるスイッチが入ったように満面の笑顔となって「今回の展示でコンパニオンを務めさせていただきますKと申します」と自ら名乗って丁寧に頭を下げた。

俺もつられるように頭を下げてから名前を名乗ろうとした。ところがさっき警備員のクリップボードに書き込んだ偽名をすっかり忘れてしまっていた。

あ……あ……あ……、と焦れば焦るほど名前は出てこない。いい加減な名前を言ってしまえばよかったのかも知れないがそれすれもままならないほどに焦ってしまっていた。

そうしてしばらくもじもじしていたらコンパニオンのほうが、それまでの営業用とも言える満面の作り笑顔とは明らかに違う、気の置けない相手に見せるような微笑みを浮かべてこう言った。「間違ってたらごめんなさい、ひょっとして、Yくん?」

そう言われて改めてコンパニオンの顔を見た。

よく知った顔がそこにはあった。


13:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)05:28:11:16 ID:E76YH8LN


俺とKの因縁を説明するには、俺の来歴から話を始めなければならなくなるが、ここが話の肝だから付き合って聞いて欲しい。

俺が初めて犯罪行為に手を染めたのは小学校に入学してすぐのことだった。

近所の駅前のスーパーで一枚の板チョコを万引きしたところからすべてが始まった。

万引きは日を追うごとにエスカレートし、小学校の2年に進級する頃には駅前のほぼすべての商店に於いて、金額にしてひと月あたり数万円にも達する規模で万引きを繰り返すようになっていた。

小学2年の5月に万引きで補導されたが懲りるどころか寧ろ、警察に挑戦を挑むような気持ちが芽生える始末で、その後も万引きを繰り返した。小学4年の時には同好の士を募って”小学生窃盗団・とるとる団”なる組織を結成して日夜万引きに精を出した。

中学に進学すると不登校を繰り返すようになり、それに比例するように手懸ける犯罪も重大なものになっていく。深夜、牛丼チェーン店に押し入り売り上げ金を奪おうとしたり、とある町工場に忍び込んで金品を奪おうとしたりと完全に子供の域を超えた犯罪行為に手を染めるようになってしまっていた。

やっとのことで入った高校もすぐに不登校になり毎日を犯罪行為ばかりをして過ごすようになる。高校に入学してわずか二月後の6月には深夜、貴金属店に押し入り強盗を働き逮捕され停学処分を受けるなどした。

留年をして2度目の高校1年生となった17歳のときに、ふたば陽光銀行に押し入り銀行強盗を謀るが未遂に終わるという事件を起こした。未遂だった為に実刑こそ受けなかったが高校からは退学処分を喰らった。

しかし俺は罪にならなかったのを都合よく捉えてしまい、やはり懲りることなく犯罪行為に人生を堕していく。

俺の失敗は犯罪の経験値が足らないうちに銀行強盗などという大掛かりな犯罪に手を染めてしまったことだ、そう考えて小規模な、コンビニや牛丼チェーン店などの強盗に精を出した。

これが面白いように上手くいった。計画性と迅速性を以て事に当たればまず失敗することがない。俺はいつしか自然と寄り集まっていた同好の士、数人と共に犯罪グループを形成し犯行を繰り返した。そうしてあの日失敗した銀行強盗を成功させるのだという希望を胸に秘めて。

だがそんな俺の希望はちんけなコンビニ強盗のしくじりによって敢え無く費えた。仲間の1人が有ろうことかレジ打ちバイトのアルメニア人に捕まえられてしまったのである。

それまでにもコンビニ強盗を繰り返してきた俺たちは常習性が高いと判断され、コンビニ本部から起訴され裁判を受けた結果、実刑判決を受けることとなってしまった。俺の量刑は懲役1年8ヶ月、執行猶予2年。高校を退学になってから半年ほどが経っていた。

14:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)05:51:21:36 ID:E76YH8LN


さすがの俺も今回ばかりは少し懲りていた。
出所後には性根を入れ替えて真っ当に生きてみようという気持ちになっていた。

とある駅で配布されていたフリーペーパーに掲載されていたアルバイト募集の広告が目に留まった。チェーン展開している居酒屋で連絡を取るとすぐに履歴書を持って面接に来るように言われた。
苦労して履歴書を書き上げたが、そこに書き込んだ退学だの逮捕だのといった文言に自分のことながら眩暈がした。

俺は生まれ変わるのだ。眩暈を抑えて面接に向かったが、面接官の雇われ店長は履歴書を読むなり不採用の決定を下した。

所詮はこんなもんか。と思って帰り支度を始めたところで店の奥から年輩の、老人と呼ぶべき年格好の男性が姿を現し店長に何事か訊ねた。

店長から俺の履歴書を受け取り一瞥した男は、次に俺に向かって「本気で働く気があるなら、別の店で雇うけど」と言った。男はこの居酒屋チェーンの創業者にしてオーナーであった。

こうして俺はこの男が経営する別の居酒屋で店員として働くことになった。

俺が入った居酒屋はオーナーがこの少し前に新たに開店した店で、大々的にチェーン展開をする他の店とは別に、家族的な雰囲気の、隠れ家的な雰囲気のある店を持ちたいと考えて新たに開店したという。店の構えもその理念に沿うように小規模でカウンターといくつかのテーブル席があるばかり、15人も入れば満席になってしまうような小さな店だ。

それから2年半、俺はこの店で一心に働いた。オーナーは俺の経歴について一切触れることはなく、事あるごとに未来は変えられる、人生を作っていくのは自分自身だ、と諭してくれた。それも説教臭くならないよう馬鹿話の間にそうした説諭めいた話を折り込んで聞かせてくれた。


俺がその店で働き始めてから半年ほど経った頃、新しいアルバイトとして入ってきたのがKだった。

15:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)06:09:29:46 ID:E76YH8LN


オーナーの親戚という伝手を伝ってこの店で働くことになったKはその頃、大学に通いながら同時にモデルをやっていた。当時、本来なら高校生の年齢だった俺より少しだけ年上だった。

モデルをしているだけあってその容姿はやはり美しい。当時、犯罪行為ほど女性経験には長けていなかった俺は、最初にKと挨拶を交わしたときにひどくどぎまぎしたのを今でもはっきりと記憶している。

それから俺とKは同僚としてその店で共に働いた。ほぼ毎日のように顔を会わせるうちにやはり相応に親しくなっていく。

男女の関係までには到達しなかったものの、友人と呼びあえる間柄にはなっていた。

2人で、あるいはオーナーを交えて3人で夜を徹して夢を語りあったこともあった。Kが店に入って1年が経った頃には、それまでオーナーにしか話したことがなかった俺の犯罪行為を洗いざらいKに話して聞かせた。

それを聞いたKは初めこそ驚いた様子だったがすぐに理解を示し「いま真っ当に働いていることが何より大事」と言って俺の過去の過ちを受け容れてくれた。

それから俺とKは将来の夢について度々語り合った。Kの夢はもちろん、モデルとして一本立ちをすること。対して俺の夢は、地道に働いてオーナーのように自分の店を持つこと。

絶対に叶えよう。俺たちは客のいなくなった狭い店の中で、まるで小さな子供のように指切りげんまんをした。Kはげんまんの後に必ずこう付け加えた。「もう泥棒なんてしちゃ駄目だよ、ぜったい」

俺が人生の中で初めて味わう、そうして最後に感じた充足がそこにはあった。他人から信頼される喜びがそこにはあった。

だが楽しい時間は呆気なく終わってしまう。

その店で働き始めてから2年半が経った頃、オーナーが経営するチェーン店の1店舗で食中毒が発生した。店長から店の経営を任されていた人間が対応をしくじり店は世の中から鋒鋩たる批判に晒されてしまった。

店の再建と信用を取り戻すの為にオーナーが再びチェーン店の前線に立って陣頭指揮を振るうこととなり、その為に、俺とKが働いていた店まで手が回らなくなってしまったのだ。

元より,オーナー自身が居心地の良い空間を作る為に用意した店である。オーナー自身が携われないのであれば経営を続ける意味はない。

俺は、オーナーからチェーン店の店長候補として誘われたがこれを断り店を後にした。何故あのときオーナーの誘いを断ったのかいまとなってはその理由はもう忘れてしまった。如何にもあくせくして見えるチェーン店の労働環境に恐れを為していたのかも知れない。

Kは既に大学を卒業する年齢だったこともあってかやはりチェーン店には行かず、どこかの会社に就職して口を糊しつつ、同時にモデルの仕事を続けてゆくということだった。

すなわち俺たちの人生はここで別れてゆくことになった。以来、俺たちは会う事もないままに過ごした。1度の連絡すら取っていない。

店をやめてから程なくして俺は元の犯罪行為に戻ってしまった。その切っ掛けはほんの些細なことだった。

何もせずにぶらぶらしているとき、町で偶然出逢った小学生時代の同級生に声をかけられ再び犯罪の道に舞い戻った。

それから今日まで9年、まるで坂を転げ落ちるように犯罪の道を突き進み、いまでは大々的に自動車泥棒を主に働く犯罪組織を結成するに至っている。

16:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)06:20:49:41 ID:E76YH8LN


つまり、Kと俺が最後に別れたのはまだ俺が将来に明るい希望を抱いていた頃だ。Kの記憶にある俺は、いずれは小さいながらも居心地の良い店を持ちたいと夢を語っていた姿だ。だがあれから俺は・・・いまの俺は・・・。

「スーツを着るような仕事に就いてるとは思わなかったなあ。でもよかった」Kはあの頃と変わらない美しさと、あの頃にはなかった大人の色香を放散させつつ、笑みを浮かべてそう言った。

「あ、ああ。うん。まあね。昔言ってたように店は持ててないけど」

しまったと思ったがもう遅かった。俺は取り繕ってしまった。Kの記憶の中に生きているであろう、あの頃の延長線上にいる俺の姿を演じてしまった。俺はもうあの頃の延長線上には居ないと言うのに。俺は疾うに犯罪者に転落してしまって店を持つなどという希望は捨ててしまっているのに。

それからしばらく俺たちは旧交を温めるように話し込んだ。

「Kさんはまだモデルをやってるんだね」
「うん。いまモデルの事務所とかには入ってないから、思うように仕事は来ないけどね。いまはこういうイベントのコンパニオンとか、スーパーの広告のモデルとかを主にやってるの」
「でも立派だなあ。あの頃言ってた通りずっとモデルの仕事を続けてるんだから」
「そんなことないってば。もう他に出来ることもないからね」

そう言って照れ笑いを浮かべるKは無上に美しかった。

運命的な再会。

そんな俺にとって都合の良い言葉がちらりと頭に浮かぶくらいに俺はのぼせ上がってしまった。

17:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)06:31:19:01 ID:E76YH8LN


Kから、俺たちが働いていた店のオーナーが去年死んだと聞かされ驚いたりしているうちに、気がつくと電気自動車の周りに人が集まり始めていた。

見れば時刻は既に午前10時40分を過ぎている。3連休の初日であるこの日、モールにはやはり多数の来客があるようだ。

俺たちは旧交を温めるのをそこまでにして、それぞれの職種を全うすることにした。

Kは、集まった人々に対して笑顔を振りまきながら、事前に搬入されていた電気自動車のカタログを手渡していく。同時に鈴のような声で「よろしくお願いいたします。どうぞごゆっくりご覧ください」と繰り返し言った。

俺は内心の動揺をひた隠しにしながら、あれやこれやと自動車の内容を尋ねてくる客に対して適当な説明を話して聞かせた。このあたりは表向きのみとは言え一応は貿易会社の社長として普段から振る舞っているその経験、手腕が大いに役立った。

それから俺たちは多くの客の相手をした。家族連れから自動車マニアからコンパニオンマニアに至るまでありとあらゆる人々に対して電気自動車の魅力を説明した。といっても、俺の方は最前も言った通りいい加減なことこの上ない説明だったが、自動車マニアすらも一応は納得させるだけの説明はできた。説明というより正しくは言い逃れと言うべきかも知れないが。

このぶんならばどうにかやり過ごせそうだ。こうしてあと数時間をやり過ごすことが出来ればこの車、ならびにこの車を売って手に入る金が俺のものになる。しかしそれは同時に俺の更生を信じてくれているKを裏切ることになるのが少しばかり心苦しいが・・・。

だがそう思って少しばかり安堵したのも束の間、電気自動車を搬入してから一時間ほどが経過した頃、最初の危機が訪れた。

18:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)06:39:29:11 ID:E76YH8LN


あるカップルが興味深げに電気自動車に近付いてきた。2人ともいわゆるアラサーと呼ばれるような年格好で、醸し出す雰囲気や会話の内容から結婚を間近に控えて婚約中、ぐらいの間柄だと見て取れた。

Kからカタログを渡されたカップルはまるで中高生のカップルのように電気自動車の周りではしゃいでいた。それにしても見ていて不思議だったのはこのカップルはどういうわけかずっとスマホに何かを打ち込み続けていたことだ。まるでこの2人はスマホで会話をしているかのようだった。

俺は内心で馬鹿みたいな2人だな、と思ったがまあ大抵、恋人なんて端から見れば2人だけが盛り上がっていて馬鹿みたいに見えるものだ。しかし表面上はそんな思いはおくびにも出さず「よかったら運転席や助手席に乗ってみてください」と声をかけた。

折しも他に車を見ている客がいなかったから、暇つぶしには丁度いいかと思ってそう勧めた。

俺にそう勧められて、カップルの女性のほうが「おそれいりまーす」とやはり中高生のような快活さで言ってから運転席に乗り込んだ。カップルの男のほうは車の後ろに回り興味深げにトランクのあたりを矯めつ眇めつしている。

カップルの男のほうが運転席の女を心配そうに見つめながらスマホに何事かを入力した瞬間、それまでも既に運転席で色々なパーツを触りまくっていた女が誤ってトランクレバーを操作した。

あっ、と思ったときにはもう遅かった。

カパッとトランクが開いた。トランクの前にはカップルの男が立っていたから自然、男の目に、俺と仲間が縛り上げて放り込んでおいた本物のセールスマンの姿があった。

男は、自分がいま目撃している光景が咄嗟に理解できなかったようで口をあんぐりと開けたまま惚けたように、縛られ寝かされ気を失ったままの本物のセールスマンの姿を眺めている。

「ごめーん。間違えてトランク開けちゃったー」とこれはスマホではなく声に出して言いながら運転席から女が出てくる。

その声に我に返った俺は、脱兎の如くカップルの男に駆け寄り、その視線を強引に他へ向けようと男の髪の毛をつかんでぐいと引き寄せた。

男の頚ががくんとこちらに向く・・・はずだったのだが男は相変わらずそこに立ちつくしている。

代わりに俺の手に髪の毛を掴み取っていた。

つまり,俺は、男のカツラをむしり取ってしまったのである。

19:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)06:58:27:10 ID:E76YH8LN


カップルの男は物凄い勢いで俺の方を振り返る。

そうして脅えと怒りが入り交じったような、およそ人間がするものとは思えないような異様な表情をして見せた。

それから「う。う。うぎゃああああああああああっ!」とまるで怪鳥があげるような叫び声をあげてから、ここから逃げだすようにモールの通路を全力疾走して行ってしまった。

カップルの女のほうは「すみませんでした!」と俺に向かって頭を下げてから、俺の手に握られていた男のカツラを奪い取り男を追いかけていってしまった。

カップルの姿が消えた後もしばらくの間、辺りには、異様な光景が展開された後の異様な空気が漂い続けた。

「う、ううん……」その時、トランクの中で気を失っていた本物のセールスマンが呻き声をあげた。

俺ははっとなって本物のセールスマンの顔面にパンチを叩き込む。ぎゃっ、と小さな悲鳴を上げてから本物のセールスマンが再び気を失ったのを確かめてから周章ててトランクを閉じる。そのまま心を落ち着けるように深呼吸を繰り返しながら心の中で自分に言い聞かせる。
大丈夫だ。あのカップルはトランクの中にいるのが本物のサラリーマンだとは夢にも思っていない。たからこれから先をやり過ごせばなんの問題もない。大丈夫だ。大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。

幸い、Kはカップルがトランクを開けたとき車から少し離れたところで客寄せをしていたから本物のセールスマンの姿は見ていない。いまも車から数メートル離れたところに立ち尽くして驚いたような表情のままカップルの去っていったほうを見つめている。そうしてまた、トランクの中が見える位置に他の客はいなかった。大丈夫。誰にも見られていない。大丈夫。

いったい何があったのかとそばに寄ってきて尋ねるKに「なんだかよくわからない。たぶんきちがいじゃないか」と言って知らぬ存ぜぬを通した。

それから周囲の人々、客や店の人々に対して「問題ありません。大丈夫です。お騒がせしました」と頭を下げてひとまず事態を収束させた。

何事かと注目していた人々も俺が頭を下げたのを切っ掛けにして、何事も起こらなかったという安心感と、何も起こってねぇのかよという多少の残念を表明しつつ自分たちの世界に戻っていった。

それからしばらくの間は平穏な時間が続いた。

俺とKは2人でモールの客に電気自動車の説明を続ける。だんだん俺の方も説明をすることに慣れてきて、接客をしながらあらぬ妄想を膨らませる余裕まで芽生え始めていた。

嗚呼。このまま本当に俺がヨコタ自動車のセールスマンになって運命的な再会を果たしたKと2人、手に手を取って新たな生活、全うな生活に人生の舵を向けるのもいいかも知れない……そんなことをうっとりと妄想しながら接客を繰り返した。

そんな平穏な時間が一時間半ほど続いたとき、次なる危険が俺の前に立ちはだかった。

20:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)07:26:37:58 ID:E76YH8LN


時計の針は正午を疾うに過ぎ、早くも45分を指そうとしている。
すなわち、これからモールが閉館するまでの数時間をやり過ごすことが出来れば電気自動車は俺のものとなり、それを非合法な形で売りさばくことで得られる莫大な金を手に入れることが出来る。
それはまあKと一緒に全うに生きるという妄想を実現する機会は失われるがそんなものは所詮、いまだけ見ている甘い夢、現実離れした夢想に過ぎない。俺はこうして生きていくしかない。犯罪者として裏街道で伸し上がっていくしかない。それが俺の生き方だ・・・そんなことを考えながら接客を繰り返していた俺の視界が突然、眩いばかりの光に包まれた。

それは暗喩ではなく本当に光が射してきていた。ふと光源と思しきほうを見やると、明るいライトに照らされた十数名からなる一団がこちらに向かって通路を進んでくる。
ガヤガヤとさんざめきながらこちらに向かってくる一団の様子が近付いてくるに連れて次第に明瞭になってくる。

一団の先頭には小型のテレビカメラがあり、そのすぐ前にマイクを持った妙齢の女性がテレビカメラに向かって満面の笑顔で何事か語りかけている。その周りをいやに光量の強いライトが取り囲み女性を不必要なまでに明るく照らしている。

マイクを持った女性だけはまるでショップの店員が着るような地味目のスーツを着用しているが、その周囲にいる一団の面々は皆、揃いの薄手のジャンバーを着用していてその背中のところに大きく『お昼のプランティーノ』とふざけたような書体で描かれたロゴがプリントされている。

俺はあまりテレビを観ないからよく知らないのだが、たしか『お昼のプランティーノ』と言えば土曜日の昼から放送されているテレビの情報番組ではなかったか。羅沢村絵という元アイドルが出ていた筈だ。俺の仲間に羅沢村絵の大ファンがいてそいつがよく見ているからテレビを普段あまり見ない俺でもなんとなく番組の存在は知っている。

この番組は収録なのか生放送なのか。いずれにしても俺が画面に映り込むことは何としても避けなければ。どうしたらいい。どうすればいい。

そんなことを考えているうちにもテレビ番組の取材の一団はどんどんこちらに近付いてくる。十数名からなる取材の一団に加え、テレビの取材を見物しようと面白がって後を付いてくる大勢の買い物客がその周囲を取り巻いていてまるで花魁道中さながらの様相を呈している。

こっちへ来るな。頼むから来ないでくれ。という俺の願いも虚しくテレビ取材の一団は俺たちのいる電気自動車の展示スペースにやって来てしまった。

21:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)07:49:30:50 ID:E76YH8LN


どうしたら。と内心で激しく動揺し苦悩している俺の目をKが覗き込んでいる。Kは目顔で「どうしよう?」と俺に訊ねてくる。 俺は、内心の道誉をひた隠しにしながら、小声で「受け答えやってくれる? 苦手なんだテレビとか」と短く言ってから苦り切ったような表情をして見せた。

Kは任せておいてと言わぬばかりに小刻みに何度かうなずくと、くるりと振り返って取材の一団と向き合った。マイクを持った女性がまってましたとばかりにKにマイクを向けて何事か尋ね、Kがそれに受け答えをする。

俺はテレビカメラの位置をそれとなく気にしつつ、出来るだけ目立たないように車の陰に隠れた。そうして、誰にも聞こえない程度の小さな声で「おっと。タイヤが」などと独り言をつぶやきながらタイヤを確かめるふりをして身を屈めた。これでとりあえず俺の姿は車の陰に隠れてカメラの視界には入らない筈だ。

電気自動車越しにリポーターの女性とKのやり取りが漏れ聞こえてくる。そのすべてが聞こえたわけではないが、漏れ聞こえてくる会話から判断するかぎり、俺の悪事の露見に繋がるようなことはなさそうだった。 無論、俺の悪事についてはKだって一切知らないのだからそんな話になるはずはないのだが、やはりそれでも不安を拭い去ることは出来ず、電気自動車の陰から漏れてくるライトの明かりと途切れ途切れに聞こえてくるリポーターの女性とKの会話を感じながら、一刻も早く取材の一団が去ってくれることを願っていた。

時間にして5分ぐらいだっただろうか。取材の一団はやがて俺たちの元から去っていった。自動車越しに漏れていたライトの光やガヤガヤとしたさざめきが次第に小さく遠ざかっていく。それに比例するように俺の心の安堵は大きくなっていく。

取材の目的は電気自動車にはなかったようで、殊更に電気自動車にカメラを向けてくるようなこと、つまり俺のことを追いかけるようにカメラを向けることはしないままに取材の一団は俺たちの前から去っていった。

恐る恐る自動車の陰から背伸びをして向こうを見やると、やはり取材の一団の姿はもう見えなくなっている。

まるで怖いものを透かし見る子供のようにしている俺の姿を見てKがにこにこと笑いかけていた。

俺は、そのKの笑顔に心からの安堵を覚えてようやく自動車の陰から出た。

「助かったあ」俺はわざとおどけたような調子を作ってKに向かってそう言って笑いかけた。

「まかせといて。ああいうのをあしらうの、得意だから」Kもそう言って俺に向かって笑いかけてからくるりと向こうを向いて仕事に戻る。

ああいけない。だめだだめだだめだ。また俺の心にKとの全うな生活という妄想が広がる。Kは俺の本当の姿を何も知らないというのに。

だがひょっとしたら、ひょっとしたらあるいは、Kならば、俺のすべてを受け容れてくれるんじゃ……。

22:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)08:09:31:05 ID:E76YH8LN


取材の一団が姿を消した後は再び、比較的平穏無事な時間が訪れた。

土曜日の昼下がりに相応しいような家族連れなど、平和を絵に描いたような罪の無い買い物客たちに対して俺とKは丁寧に電気自動車の説明を施していく。

中には話しているうちに気分が盛り上がってしまいこの場で購入すると息巻くような客もいたのだが、それについては後日、ヨコタ自動車のショールームで改めて契約を取り結ぶように言い含めるなどして周到に切り抜けていた。

こんな平穏無事のままに時間が過ぎればいい。あと何時間か何事も起きないままに過ぎ去ってくれればいい。そうすれば俺はこの偽のセールスマンから解放されて元の犯罪者に戻れるのだから。

だがその願いも虚しく俺の前に三度目の危険が立ちはだかった。

さらには今度の危険は俺にとって、最大にして最後の危険となった。

23:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)08:18:43:15 ID:E76YH8LN


その危険は取材の一団が俺たちの元から消えてから30分ほどが過ぎた頃に突然やって来た。

時計の針は午後1時15分を指そうとしている頃だった。

そのとき、モールの正面入り口となるエントランスがある方角から小学生と見える小さな男の子が、さらに小さな3歳ぐらいに見える女の子の手を引いて、いまにも泣きだしそうな顔でこちらに向かって全力疾走してくるのが見えた。

なんだありゃあ、と走ってくる子供達を見て思ったのも束の間、次の瞬間にはあっと叫び声をあげそうになった。

なんと子供達の背後に、子供達をを追いかけるようにして何十人もの制服姿の警備員がこちらに向かって駆け寄ってきているではないか。

餓鬼の時分から犯罪者として数々の修羅場を潜ってきた俺だがさすがにこのときばかりは面を食らった。

なにより状況がつかめない。子供が? 警備員が? 何故こっちに向かってくる? 俺の悪事が露見したのか?

なにがなんだかわからないままに為すすべなく成り行きを見守るしかなかった。
こういうときに下手に動くと得てして馬脚を現すという結果に陥る。

そう思って成り行きを見守っていると、子供はまっすぐ俺たちのいるほうに駆けてきて、そのまま電気自動車の陰に隠れてしまう。そうして2人で身を屈めるようにして背中を丸めてがたがたと震えている。

電気自動車の前には子供達を追ってきた何十人もの警備員たちが、まるで立ちはだかるように自動車を取り囲んでじりじりとその範囲を狭めていく。

俺はKと顔を見合わせ小首をかしげたがとても声をあげられる雰囲気ではない。

警備員の中の一人が一歩進み出て自動車越しに子供に説得を試みる。この警備員には見覚えがある。今朝、俺に入館証を手渡した麦江田という警備員だ。

警備員の麦江田は自動車の陰で震えている子供に向かって「おとなしく出てくれば許してあげるから。とにかくその女の子を連れて出てきなさい。おじさんたちは警察じゃないから手荒な真似はしないから、ね」とごく優しい口調で諭すように説得を続ける。

だが子供達は一向に出てこようとしない。ひたすらに電気自動車の陰で背中を丸めて身を屈めている。

24:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)08:31:54:26 ID:E76YH8LN


警備員の麦江田は根気よく説得を続ける。

「おじさんたちはその女の子のお母さんから迷子の届け出を受けてるんだよ。だからその女の子を無事に帰してくれたらそれでいいんだ。だから安心して出ていらっしゃい」

だが子供は動こうとしない。麦江田は続ける。

「いいかい。いまおとなしく出てこないと、本当に警察を呼ぶことになるよ。お巡りさんだよ。お巡りさんはおじさんたちよりもうんと怖いよ。逮捕とかされちゃううんだよ。そんなことになったら君のお父さんやお母さんがとても悲しむよ」

もしかするとこの場でいま麦江田が言った警察、という言葉に敏感に反応をしたのは俺だったかも知れない。今日、このモールに入り込んでから何度目かになる内心の動揺をひた隠しにする瞬間。

だが、今回のそれはいままでの危険とは桁違いに俺に恐怖を与えた。警備員とはいえ犯罪に対して相応の訓練を積みそれなりの武器も携帯している人間が何十人も目の前に現れ、しかもそのうちの一人は「警察を呼ぶ」と言っているのだから。

事実、彼らと警察の間には何某かのホットラインがあると考えるのが自然だ。これだけの巨大なショッピングモールでしかも二本の電車路線が交差するターミナル駅に程近いところにある。ツーといえばカーの間柄で呼べばすぐに警察が飛んでくるぐらいの体制は出来上がっていることだろう。

麦江田は子供の説得を続ける。

「いいかい。大変なことになるんだよ。お巡りさんが来たらこんなもんじゃないよ。お巡りさんはすごい力を持ってるんだよ。おじさんも昔はお巡りさんをやっていたからそういうことには詳しいんだよ」

うっ。なんということだ。元警官ということはやはりこの麦江田という警備員は警察にホットラインを持っているのだろう。

麦江田はさらに宥めたりすかしたりしながら子供の説得を試みる。だがやはり子供は頑なだった。子供の心には麦江田の真情あふるる説得も功を奏さなかったと見える。

だが、麦江田の説得は意外な効力を発揮していた。

他ならぬ俺の心に響いてしまっていたのだ。

25:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)08:54:17:43 ID:E76YH8LN


麦江田が子供に向かって言う。「警察は怖いところだよ」
その通りだと思う。思えば俺の人生は警察との逃走に明け暮れていた。

麦江田が子供に向かって言う。「だから大人しく出て来なさい。誰だって間違いはするんだよ。でもやり直せるんだ」
その通りだ。俺もここで大人しく罪を認めて人生をやり直す機会なのかも知れない。

麦江田が子供に向かって言う。「お父さんやお母さんがこのことを知ったら悲しむよ。君もお父さんやお母さんは大切だろう。大切な人を悲しませちゃいけない」
その通りだ。俺はすでにKを裏切っている。偽りの自分を演じている。

麦江田が子供に向かって言う。「そんなにおじさんのいうことが聞けないのなら本当に警察を呼ぶからね。いいかい、この無線で連絡を入れればすぐにお巡りさんが来て君を逮捕するからね。そうしたら怖いことになるよ。とっても怖いことになるよ。人生に取り返しの付かない汚点が残ることになるよ。おじさんはできたらそんなことはしたくない。だからおとなしく出てきてよ」
その通りだ。その通りだ。その通りだ。

麦江田が言う通り俺の人生はもう取り返しがつかないところにまで来てしまった。人生をやり直す機会はあの店を、Kと一緒に働いていたあの居酒屋が無くなった時点で失ってしまった。すべてはあのときに終わってしまった。
もしいまここに警察を呼ばれたら事件の目撃者として俺も話を聞かれるのは必定だ。そうすればいずれは俺の話の不確かさから俺の素性に懸念を抱かれるに決まっている。

駄目だ。駄目だ。終わりだ。逃げなければ。逃げなければ。逃げなければ。逃げる。逃げる。逃げる。逃げて新しい生活を。Kと。Kと。Kと共に新しい人生に向かって舵を切る。

26:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)08:54:17:43 ID:E76YH8LN


「じゃあ仕方がないね。警察を呼ぶからね」いつまで経っても隠れたままで動こうとしない子供に業を煮やした麦江田がついにそう言って無線に手をかけた刹那、俺の精神のダムが決壊した。

俺は、うぐああああああああああ、と、野獣の咆哮のような雄叫びをあげると傍らに立っていたKの腕を掴んで引き寄せると強引に電気自動車の助手席に押し込んだ。

呆気にとられて見ている警備員を他所に、電気自動車の運転席に乗り込んだ俺はエンジンをかける。

シュルルルルルルン、という電気自動車特有の軽快なセルモーターの音が響いてエンジンが作動する。

サイドブレーキを外してオートマチックのギアを”D”に入れると力任せにアクセルを踏み込む。

キュキュキュキュキュキュキュキュ、と急加速に耐え兼ねるようにタイヤが空回りをする。その数秒の後、電気自動車は猛スピードで走りだした。

すぐ前に立ちはだかっていた何十人もの警備員立ちを弾き飛ばしそうになりながら電気自動車は、展示されていたステージを駆け降りモール内の通路をエントランスがある正面玄関に向かって爆走していく。

モールの買い物客が恐怖の表情を浮かべ悲鳴を上げながら右に左に逃げ惑う。軒を並べた店の棚に衝突、破壊を繰り返しながら電気自動車はモール内を爆走していく。

運転席の俺は既に気が狂っていた。ひひひひ、と笑い声をあげて右に左に車をスラロームさせながらモールの中を進んでいく。

Kは全身を硬直させたまま驚愕の表情でひたすらに前を向いている。だがいつの間にかシートベルトを締めていたのが不思議だった。女はこういうときまで胆が座っているものなのか。

俺はそのままひひひひひひひひ、と笑い続けながらあらん限りの力でアクセルを踏み込んだ。その刹那、得も言われぬようなある種の性的な快感が全身を貫いた。

俺は全能だ。俺は神だ。俺は天才だ。俺は凄いのだ。わはは。わはは。わはははははははははははははははは。

そうして笑っていた俺の目の前に全面ガラス張りのエントランスが近付いてきた。

だがいまなら超えられる。いまの俺ならあのエントランスを越えられる。
あのエントランスをぶちやぶればその先には新しい人生が待っている。あのとき夢見て果たせなかった生活が。Kとの新しい人生があのエントランスの向こうに。

俺はさらに強くアクセルを踏み込んだ。

27:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)09:09:26:32 ID:E76YH8LN


それから、エントランスのガラスを突き破ったときの破壊音が聞こえたのを最後に俺の記憶は数分間途絶えている。

次に気がついたときには車はモールの前庭にある人工池にフロントから突っ込んでいた。

エアバッグが作動したために、天井にひどく頭をぶつけたものの他に外傷はなかった。

それでも意識の回復と共に自分が置かれた状況を思いだした俺は、ヒビが入ったフロントガラスに肘打ちを入れて突き破り、そこから脱出して逃走した。

車から去る時にちらりと助手席のKを見た。どこかにぶつけたらしくこめかみの辺りから一筋の血を流していたが、やはりエアバッグのお陰で命に別状はなさそうだった。

俺は、Kの姿を見るのもこれで最後だろうな、と思い心の中で「騙してごめん」と言ってから踵を返して走り去った。

28:名無しの話を聞け : 2014/09/14(日)09:29:20:30 ID:E76YH8LN


それから俺は駆け通しに駆けて自室に戻り眠れぬ夜を過ごしながらこれを書いて過ごした。

足がつくといけないから車の隠し場所に行っているはずの仲間には連絡を入れていない。

いずれにせよ、俺の人生ももうすぐ終わるだろう。

人生至るところに青山あり。

少し前から、俺の部屋の周りにパトカーが見え隠れし始めている。

もうすぐ警察がここに踏み込んでくるだろう。

ゲームイズオーバー。

結局、俺は生まれ変わることはできなかった。真っ当な人生を歩むことはできなかった。

だがこれだけは言える。

俺はこうして生きていくしかなかった。

俺は犯罪を生業として裏街道で生きていく運命にあった。その運命を全うした。

いまはそんな暗い道にKを引きずり込まずに済んだことに安堵している。


部屋の外に複数の靴音が聞こえて来た。

本当に終わりだ。


最後まで読んでくれてありがとう。感謝します。


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