エピローグ ex.2
ルパンは超高性能なお掃除ロボットである。
ルパンには世界最高レベルの塵芥センサーが搭載されている。
ルパンは常に見ている。
ルパンはすべてを見渡している。
ルパンは塵芥のみならず、あらゆるものを見て、感じている。
ルパンは、見た。
ここで、見た。
あらゆることを、見た。
ルパンは中国の北京にある工場で生産されそこから日本に船で輸送されてきた。この事件があった日からおよそ四ヶ月前のことだ。
二〇一四年六月、ルパンはマイティメガモール南堵洛内にある西丸電気に納入され、そこでデモンストレーション用の展示品としてディスプレイされることとなった。
事件があった日の午前九時頃。西丸電気の店員が出勤し開店準備に当たっている最中誤ってルパンの電源を入れてしまった。普段であれば、ルパンのデモンストレーションは腰の高さほどもある専用の台上で行われるのだが、前日店内の棚卸しをした関係からその時ルパンは床上に置かれてしまっていた。気働きが少しく不足していた店員は普段通りリモコンからルパンの電源を入れてしまった。店員は気働きが足らないことに加えてこの日から発売開始される新型電気釜の販売促進のことで頭の中が一杯だったためにルパンが床で蠢いていることは気にも留めずルパンの傍から立ち去ってしまった。理の当然としてルパンは一心不乱に掃除をしなつつ,ついには西丸電気の店内を脱してマイティメガモール南堵洛の中をぐんぐんに掃除し始めてしまうこととなった。
西丸電気の店内を出てすぐにグリーンプロムナードそばの通路に入って行く樺山泥彦以下のテレビクルーの一団に遭遇した。生放送を控えて相応の緊張感に包まれていた一団がルパンの存在に気付くことはなかった。ルパンの方も搭載された視野の役割を果たすセンサーで一団の存在を検知したからこのまま進んでしまってはあの人間たちにぶつかり進めなくなると判断して早々に進行方向を変えた。
そのままルパンは休むことなく掃除をしながら移動を続ける。グリーンプロムナードにある第二ステージの付近でその数時間前に盗み出したばかりの電気自動車・ウルグスを図らずも搬入してくることとなった、偽自動車販売員の矢車幸市朗とそれを迎え入れる警備員の麦江田譲治、さらにはステージの脇で待ち受けるコンパニオン姿の轡田靴美の傍を掃除した。搬入口の外側にはタイヨウくんも居たのだがそれはルパンのいる位置から少し離れた場所だったからお互いがその存在に気付くことはなかった。
そのまま移動を続けたルパンはエントランスの付近でモール内へ小走りに駆け込んできた羅沢村絵と、彼女を物品倉庫に閉じこめようと企んでいる喜久山西子にほど近いところで掃除をした。それぞれ目指すところを心に抱いている村絵と西子はルパンにはまるで気付かない。亦ほかの買い物客の中にはルパンの存在に気付いたものは居たが、ルパンの天板に貼られた”ただいまロボット掃除機実演中!”と書かれたシールを見てモール内を掃除して回るようなデモンストレーションを行っているのだと判断してしまったためにそのままやり過ごされた。
次にルパンはその持ち前の走行性能とセンサー能力の高さを駆使し器用にエスカレーターに乗り二階に上がって行く。そのルパンのすぐ後ろの段には頬野あやちゃん三歳と母親の耳子が乗っていたのだった。小供らしい落ち着きの無さであたりをきょろきょろと見回していた頬野あやちゃん三歳が目敏くルパンを見つけて「ルパンルパン! ルパンがエスカレーターにいるよ!」と指さし大喜びをしていたが耳子はやはり天板に貼られたシールを見てデモンストレーションと思ったから「静かにしなさい」と頬野あやちゃん三歳を諌めただけに終わった。
二階に上がったルパンはキディエリアの玩具店の付近を掃除する。その玩具店の中ではタイヨウくんがキュウコウジャー四号のフィギュアを手に果たして二つとも買うべき蚊飼わざるべきかと悩んでいるところだったが店内を埋め尽くした大量の玩具に阻まれルパンもタイヨウくんもお互いの存在には気付かなかった。
それからもしばらくの間ルパンは二階を移動し続けノースエリアにあるステージの陰で出し物の準備をしているマジシャンのハーベスト坂井の傍を掃除をした。職業柄目敏いハーベスト坂井はルパンの存在に気付きいくらなんでもこんなところを掃除するのはおかしいとルパンを取り上げた。そこへ館内のアナウンスでルパンが行方不明だと放送されたためにハーベスト坂井はエントランスへルパンを運んで行き程なく西丸電気の店内に返却された。
その後、ルパンは西丸電気の正規の展示場所に配置され正しい形でのデモンストレーションを再開した。午前十時四十五分頃、ルパンの売り場に馳井くん子と元倉行之のカップルが訪れた。何事によらず積極的で行動的なくん子はルパンの電源を入れたのみならず、まるでそうするのが自然であるかのようにルパンを床に置いてしまった。そうしてルパンの一通りの動作を確認するとくん子はもうルパンから気が逸れてしまい、ちょうど聞こえてきた電気自動車の展示中を知らせるアナウンスに気を取られその場を離れてしまった。もちろんルパンは床に置かれたままである。
それからしばらくの間、ルパンは西丸電気の床を買い物客や展示中の電化製品を巧みに躱しながら掃除を続けていた。しかしいつしか再び店内からをしてモールの中に出ていってしまう。そうしてモール内を進んでいくルパンはやがてまたもや器用にエスカレーターに乗り込み二階に上がっていった。時刻は午前11時を過ぎたところ。
ふたたびノースエリア付近のステージのそばに行くとそこではハーベスト坂井がマジックショーを実演しており、そのショーの一番の目玉である人体消失のマジックが始まったところであった。ステージに立てられた棺桶大の箱の中にハーベスト坂井が立ち「お客様の中で瞬間移動のマジックに協力してくださる方はいませんか」と訪ねた瞬間、ステージの後方からばたばたばたという誰やらの駆け込んでくる足音が聞こえてきた。それは電気自動車・ウルグスの展示スペースで図らずもカツラが外れてしまったためにくん子の元から逃亡してきた元倉の足音であった。全身から悲壮感を発散させながら全速力で駆け込んできた元倉はそのままステージに駆け上がり、アシスタントの女性を突き飛ばして箱の中に飛び込み自ら扉を閉じてしまった。一瞬呆気にとられたハーベスト坂井だったがそこは経験豊富な手だれのマジシャンであり「なあに。なんとかなるさ」と気を取り直してそのままマジックを続行した。
元倉は訳がわからぬまま箱の底に開いていた穴に入り込み狭い通路を四つん這いに這っていった。その結果ステージからごく離れた場所にたどり着いたのだが祖差がどこなのだか全くわからずき途方に暮れた。もちろんその元倉の姿をルパンは見ていない。
その後も掃除を続けたルパンはやはり器用にエスカレーターに乗り込み一階に降りてこんどはフードコートであるビッグイートシティに入り込んだ。午前11時半頃のことだ。
ビッグイートシティの床上でテーブルやイス、食事を楽しむ客の足下を絶妙に躱しつつ掃除を続けていたルパンはいつしか一人の小さな女の子の足下にたどり着く。それは迷子としてタイヨウくんと出逢い、いまはわがままを云ってタイヨウくんにクリームソーダを買いに行かせている頬野あやちゃん三歳であった。頬野あやちゃん三歳は初めて目にするルパンの姿を「いったいこれは何だろう」というきょとんとした眼差しでしばらく見つめていたが、何を思ったか徐に、タイヨウくんがテーブルの上に置いていったキュウコウジャー4号のフィギュア×2体をルパンの天板の上にそっと置いた。キュウコウジャーのフィギュアは足裏の部分に転倒防止用の薄手のゲル素材が貼られていたから天板の上でも倒れることなく見事に起立していた。ルパンはそれが契機になったようにビッグイートシティを離れて行く。そのルパンを追って頬野あやちゃん三歳も席を立った。ところへ羅沢村絵が図らずも扮することになったマイモーちゃんが黒磯針雄に連れられよちよち歩いて現れたたものだから、頬野あやちゃん三歳はすっかりそちらに気を取られてその後をついていってしまった。
それからルパンはしばらくオーシャンシティのあたりを掃除していた。そのまま移動を続けグランステージでキュウコウジャー&マイモーちゃんのヒーローショーが始まった午後12時過ぎになる頃にはグランステージ客席の後方にたどり着いた。客席にいた観客の中にはルパンの存在に気付いた者も居たが天板に起立しているキュウコウジャー4号のフィギュア2体を見て「宣伝なのだな」と思われてしまいやはりそのままやり過ごされた。そのすぐ後に西子を先頭とする『お昼のプランティーノ・買い物番長』の生放送クルーがステージに合流してきたがその頃にはもうその場を離れてグリーンプロムナードの方に向かって移動を始めていた。
グリーンプロムナードに向かって移動している最中、後方から駆けてきたタイヨウくんと頬野あやちゃん三歳、それに麦江田を始めとする複数の警備員たちに追い抜かれたのだが彼らはいずれも切羽詰まっていたためにルパンの存在には目もくれなかった。タイヨウくんと頬野あやちゃん三歳がグリーンプロムナードに展示されていた電気自動車・ウルグスの陰に隠れその周りを麦江田ら警備員たちが取り囲んでいる中をのんきに掃除して通り、仕舞いにはタイヨウくんと頬野あやちゃん三歳の足下に逢着し結果的にキュウコウジャー4号のフィギュアをタイヨウくんに返した。
ルパンはきびすを返してエントランスの方に向かって行く。しばらく進んだところで、矢車が靴美を連れ込んだまま運転する電気自動車・ウルグスが頭上を通過していった。矢車が無意識のうちにルパンを避けて通ったために完全に無傷であった。
グランステージを乗り越えエントランスを大破させ前庭のマイティレイクに突っ込んで止まった電気自動車の走路をあとから辿るようにルパンはエントランスに向かって移動していく。混乱の極にあるグランステージではマイモーちゃんの中から頭だけを出した羅沢村絵が西子を指さし拉致/軟禁の事実を告げ、惚けた様子で西子に何事かを云おうとして樺山泥彦以下の生放送クルーに取り押さえられて悄然となった清水谷風郎がへたり込み、目の前で起こった非常事態の収拾に早くも奔り始めた黒磯が駆け回るすぐ脇をひとり、我関せずとばかりにマイペースで掃除をしながら移動してゆくルパン。
やがてルパンは大破したエントランスをくぐってモールの外に出た。この世に生を受けて以来初めて何物にも囲繞されない広い空間に出たルパンは恰も鳥篭から逃げ出した小鳥のように、係留されていた鎖から解き放たれた犬のように、その日の課業がすべて終わり校門から駆け出し下校をして行く小学生のように、一直線に自らが進みたいほうへと突き進んで行く。そうしてマイティレイクにボンネット部分を突っ込み大破した電気自動車の足下に一定の速度で近づいて行った。電気自動車のフロントガラスを突き破り脱出してきた矢車に踏みつけられそうになったがこれは矢車の方が既のところで躱したためにルパンはまたもや無傷であった。
矢車はそのまま最寄り駅である臍久田駅の方角に向かって全速力で逃走して行く。ルパンも図らずして同じ方角に向かって進んで行く。しかし全速力で駆けて行く矢車の姿はルパンのセンサーからあっという間に消えてしまった。
それからルパンは街を闊歩し自由を満喫しながら塵芥に満ちた街の中を掃除して回った。折しもこの近隣一帯では再開発工事の真っ只中であり汚れには事欠かない。ルパンはそのセールスポイントの一つでもある超大容量のダスト・ボックスに吸い込んだ大量の塵芥を次々と溜め込んで行く。
そのときルパンは明らかに興奮していた。感情を持たないはずのマシンのルパンが人間のように興奮し、喜悦し、恍惚となっていた。人間で云うところの性的興奮を覚えていた。
しかし所詮は電気仕掛けの哀しさ、その興奮はわずかに一時間ほどしか続かなかった。充電残量を使い果たし力尽きるように敢え無く停止したルパン。「充電残量がなくなったために停止します」と音声合成で報知したのを最後に静かに停止した。その場所がくん子と元倉が住まうアパートの玄関先であったことなどもちろんルパンは知らない。
程なくモールから帰宅したくん子と元倉に保護されたルパンは無事に西丸電気に返却された。その後はそれまでと変わらず西丸電気の店頭で掃除のデモンストレーションを行っている。ただし、店から容易に出られぬようにと囚人の足枷の如き防犯タグが取り付けられた。
斯くして再びルパンは西丸電気の中でのみ暮らすこことなった。あの事件の日、街へ出たときに覚えた異様な興奮を味わうことはもう二度とない。果たしてそれがルパンにとって幸せなのか不幸せなのかはルパン当人にしかわからない。だが仮にルパンに聞いたところでルパンは何も答えずただひたすらにふんふん云いながら掃除をするだけだろう。なぜならルパンは機械なのだから。なぜならそれがルパンなのだから。