王暦721年某月某日
朝、誰かが家のドアを叩く音で目を覚ました。表で一番鶏が啼く声が聞こえてくる。眠い目をこすりつつ応対に出てみると若い男が緊張した面持ちで立っていた。
まだ小供と云って良い年格好のその男は、王国の大臣付きの書生であると自らを名乗り、大臣から授かったと云う手紙を恭しく差し出した。
そこには、我が祖先である伝説の勇者が、七百年前に討伐し、その魂を封印した悪の魔王ブラック・デモンが復活を果たしたこと、その再びの討伐を勇者の末裔である私に依頼をすること、更にはその勅命を与えるため登城する運びになる、ということが簡潔に記されていた。
私が手紙を読み了えるのを見届けると書生は、後ほど改めて兵士が伺うゆえ、身支度を始めておいて欲しいと云い残して足早に城へと戻っていった。
私に与えられた、いや、私の家系に与えられ続けた使命を果たす時が遂に来た。偉大なる祖先である伝説の勇者はその子孫、中でも直系とされるもっとも血の濃い人間について、日ごろより肉体ならびに精神をよく鍛練し有事の際、即ち魔王が復活した暁にはその討伐にすぐさま迎えるよう準備を整えておくようにと云い残していた。
私は万感の思いと共に大臣からの手紙を幾度も読み返した。読み返すうちに心根が幾分の平静を取り戻してくる。すると浮かんできたのは妻の姿だ。このことを早く知らせなくてはならない。私は妻の姿を探し求めて街に出た。
妻は諸事万端に於いて自由且つ奔放な女性で、年齢こそ私よりひとつ上だが歳に似合わぬ闊達な性格を有している。今朝も今朝とて家に居ない。いや正確には昨夜から出掛けたままで戻っていない。
この肝心な時に、と並の夫なら憤るところだろうが、多少尻に落ち着きが無いだけでけして悪い女ではない。いや寧ろ真面目で一本気な女であると知悉している私にとって妻の姿がすぐに見当たらぬことなど驚くに値しない。近頃では義父母、それに今年五つになる娘との四人だけで過ごすことが当たり前になりつつある。だがそれでも妻は、私と顔を会わせればそのたびに、如何に自分が幸せであるか、如何に私と結婚したことが正解であったかを満面の笑顔で語る。彼女の幸せは私の幸せであり妻もまた、そう思ってくれている。それは、二人が結婚をした六年前のあの日から変わっていない。