コンテンツの時代は終わった
ーーお話を伺えば伺うほど、革新的なアイデア、サービスだと思います。
臍山田広報ありがとうございます。
農馬CTOつーか、馬鹿の発想ですよね(笑)
ーーいやいや(笑)一体どういうところから、このサービスは発想されたものだったのでしょう。
農馬CTO最初はただの馬鹿話だったんですよ。迷惑メール作成の記事にも載せていただいた、うちの山田(不可士氏、現・同社CEO)と、昼飯を食べながら、馬鹿みたいな話をしてゲラゲラ笑っていた時に、ふと「今のネットって、コンテンツを作って見せる時代じゃなくなったよなあ」という話になったんですね。今から2年ぐらい前のことだったでしょうか。
ーーコンテンツを作って見せる時代じゃなくなった、ですか。それは一体どういうことなのでしょう。
農馬CTOこの数年で、完全な形でインターネットが生活に浸透しましたよね。国民の大半がスマホを持ち歩き、朝な夕なにSNSにアクセスしているような時代になりましたよね。暇さえあれば、というより寸暇も惜しんで誰かの投稿を見て、あるいは、自分で投稿をして、毎日を楽しく過ごしていますよね。
ーーはい。コミュニケーションのあり方が完全に変わりしました。
農馬CTOSNSが定着する以前、いま(2016年4月)から7〜8年ほど前のことですが、その頃というのは、ここまで生活の中にインターネットが入り込んでいませんでしたよね。リアルとネットの間には明確に一線が引かれていましたよね。
ーーええ。ネットにアクセスするというのは、リアルな生活とは別の世界に入って行くような感覚がまだ残っていました。
農馬CTOその、リアルとネットの間にあった隔たりというのは、何かに似ているな、という気がずっとしていたんですね。
ーー何に似ているとお思いだったのでしょう
農馬CTO芝居や映画を見るときの感覚ですね。観客として木戸銭を払って客席に座り、舞台やスクリーンの向こう側を眺めるときのような、あの感覚に近いと思っていたんですね。
ーーなるほど。舞台と客席の間には一線が引かれているものですからね。落語家が、座布団の前に扇子を置くのは、客席との間に結界を張るという意味があると聞いたことがあります。
農馬CTOSNS以前のネットというのはそういう時代だったように思います。ブログの時代になって、どんどんその結界はなくなっていきましたが、それでも現在のように完全にフラットではなかったと思います。
ーー確かに、作る人と読む人が分かれている感覚がありました。作家性、みたいなものがあったように思います。
農馬CTOあのころまでのインターネットは、表現せずにはいられない何かを抱えているのに、それを表現する手段を持たなかった人たちが、インターネットという場を与えられて、自由に表現をし始めた……潜在的な作家たちが飛び出してきた時代、とでも言うのか。
ーーそうですね。あの当時の作り手は、作り手としての矜持を持っていたように思います。たとえそれが商業ベースとは無関係であっても。
農馬CTO表現したいものがある、ということは、つまり、コンテンツの形にして表現したい、ということです。
ーー表現をしようとすれば、自然とそうなりますね。誰かに伝えるについて、必要な形に仕上げなくてはならないわけですものね。
農馬CTOところがSNSが台頭してから、特に表現したいものを持たない人々がどんどんと意見を発信し始めるようになるんですね。ブログの記事にまとめようという欲求すらないけれど、何かを言いたい、みたいな人たちです。動画作成においても、YouTubeやニコニコ動画が出てきたことで、なんとなく発信をする、ということができるようになりました。FLASHブームの頃のように、コンテンツの形に仕上げることなく、パパッと発信するようになったんですね。寝てるだけの自分を動画としてアップするだとか。そこには、作品として仕上げる、なんて意識、微塵もない(笑)
ーー確かにそうですね。ゲーム実況などは、そうした要素が強いですね。
農馬CTOええ。あれってつまりは、面白くゲームを遊ぶことができる人が動画でそれをアップしているってことであって、けして「作品」ではない。
ーーそういえば子供の頃にいましたね、こいつがいるとみんなでゲームを遊んでいてもやたらに盛り上がるっていう友達が。
農馬CTOそれはつまり、その友達個人の魅力、面白さですよね。作品性よりも、個人の面白さが一番光るんですよ、ネットは。もちろん、凄い作品を作ってアップされている方もたくさんいらっしゃいますが、それはメインストリームではない。いま、世間の人々がイメージする「インターネットで面白いもの」の最上位にくるものではありません。
ーーそうですね。やはり、SNSやユーチューバーが作る、垂れ流しに近いような投稿が、今のインターネットの最上位にあるものだと思います。
農馬CTOそうした人たちが表現する動画やつぶやきというのは、そのほとんどは他愛のない、だだらな感じのものなんですが、インターネット上だとこれらがとても面白く見える。「作品」として作り込まれたものより、はるかに面白く見えてしまう。
ーー一体なぜなんでしょう。どう考えても「作品」の形に仕上がっている方が面白く見えるはずだと思うのですが。手間暇がかかっているわけですし。
農馬CTOこれはもう理屈じゃないんでしょうね。それがインターネットなんですよ、きっと。インターネットというのは、そうした垂れ流し的なものが一番面白く見える媒体なんだと思います。作品ではない部分にこそ、見る側の視線が向いてしまう、とでもいうのか。
ーー作品ではない部分、というのはどこなのでしょう。
農馬CTO人、ですね。そのつぶやきや動画をアップしている「人」そのものでしょう。
ーー人、ですか。
農馬CTOそれが、インターネットの他媒体にはない特性なんだと思うんですね。作り手と受け手に分け隔てがない世界にしかない面白さ……例えるならば、教室でふざけている同級生を見ている時の面白さとでもいうのか。
ーー確かに、教室でのおしゃべりやおふざけは、ほとんど、同級生のキャラクターで、面白いかどうかが決まってしまいましたよね。同じことをやっても、あいつがやるとなんか面白い、みたいな(笑)
農馬CTO逆に、同じことをやってもこいつがやると面白くない、みたいなのもあって(笑)
ーーだとすると、やはり、作り込んだコンテンツよりも、単なるつぶやきのようなもののほうが面白く見えてしまうのも、当然かもしれませんね。学校の休み時間に練り上げられた、完成された芸を見せられても、逆に引きますものね(笑)
農馬CTOそう考えると、インターネットは限りなく学校の休み時間に近い。よく行ってコンパのレベルがせいぜい。だから、どんなに作り込んだコンテンツよりも、無名の人がつぶやく「今日のお昼ごはんはフレンチクルーラー」なんていう、他愛のないつぶやきのほうが断然面白く見えてしまうんです。それがふさわしい空間なんですね。学校の休み時間やコンパの場がそうであるように、受け手と作り手とが、フラットな関係にあるのがインターネットなんです。さっきは受け手だった人が、すぐに送り手となってしまう。
ーー友達同士でのおしゃべりって、全員が話し手であり、聞き手でもありますからね。そういう友達同士の関係性の中で、自然と面白さのランクみたいなものが決まって行きます。でも、そこで完全に話し手と聞き手が分かれるわけではありませんね。決して「結界」は張られない。
農馬CTOで、そうなると、そういう「結界」のない場所では、作品性や作り物感といったものは、むしろない方がいい。みんなが見たがっているのは、自分と同じレベルの人がそこにいるという姿なんですね。そこに「コンテンツ」という、話し手と聞き手が分かれてしまう要素が入り込む余地はありません。
ーーそこで「コンテンツを作って見せる時代ではない」というお考えに至ったわけですね。
農馬CTOもちろん、極論であることは承知しているんですが、本質を抜き出せばそういうことになると思います。人、を見る世界なんです、インターネットは。
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