暫く手持ち無沙汰に店先で待っていると、何やら奥の方から若旦那のものと思しき何かを喚くような声、更にはがつん、どすん、という少し心配になるような物音が聞こえてくる。更に暫くあって、やがて若旦那と呼ばれるこの店の主が出てきた。妻は出てこない。
相変わらずの優男風の相貌、口さがない連中はのんき大将などと云って揶揄するが、今日はめずらしく緊張した面持ちをみせている。しかのみならず身体にわずかな震えすらみられる。伏し目がちに「今日はまたどういった御用で」と押し出すように云った声もまた幾分震えている。どうやら身体の具合が悪いようだ。
急の用事が出来したので妻に会いたい。そう申し述べると若旦那ははぁ、と不得要領を絵に描いたような返事をして早足で奥に引っ込む。私の祖先が勇者であるならば、彼の祖先はその勇者に無償で武器や防具を提供した歴史に名を残す立派な人物なのだが、残念なことにその血筋を思わせる気配は微塵も伺えない。ひと事ながら彼の将来が心配になってくる。
程なくして再び妻が出てくる。妻は、六年も一緒に暮す中で何時しか見慣れたものとなった強い眼差しで私を見つめ、私からの言葉を待っている。その表情はどこまでも厳しく、まるで大勝負に臨む博打打ちを思わせる。真面目で一本気な性格がこんなところにも現れていると私はその表情を好ましい思いで見つめつつ徐に訪問の理由を述べた。
私は努めて冷静に、最前、大臣付きの書生から申し渡されたことを、即ち魔王の復活と、その討伐の勅命を国王より賜るために急ぎ登城・出立をせねばならなくなったことを告げた。
妻は暫く無言で私の顔をじっと見つめてから小さな溜め息を一つ吐いた。それから、あぁそうなの。とさしたる感動もない声音で云った。目付は相変わらず鋭いままだ。
私は次の言葉を待ったが妻は私をみたまま押し黙っている。伝えるべき事を伝えた私も話の接ぎ穂を失った。無言の状態が暫く続いた後、妻はそうだ、と何かを思い出したように云って奥に引っ込んだ。
奥から妻と若旦那が密やかな調子で話し込む声が聞こえてくるがその内容までは判らない。それから程なくして二人が揃って出てきた。その様子はまるでしっかり者の姉さん女房と頼りない年若の旦那が連れ添っているようだ、と思ったがこの女は私の妻でありその妻は真面目で一本気、したがってこの二人が夫婦者に見えるわけはなくこれは私の見方の誤りであると思って周章ててその思念を打ち消しすぐさま「姉さん女房」「年若の旦那」と思った部分を「姉」と「弟」に変換して姉弟に見える。と思い直した。そう認識さえすればもう断じて二人は夫婦に見えない。見えないと思う。きっと見えない。何よりこの女は私の妻であり、それ以外の何者かであろう筈が無い。とにかく真面目で一本気な女なのだ。