エピローグ act.1
喜久山西子Nishiko Kikuyama

それから喜久山西子は警察および検察から取り調べを受けたが結果的に無罪放免となった。西子の容疑は羅沢村絵の拉致監禁であったが、村絵サイドが告訴をすることなく話し合いによる示談(示談金等の条件もなかった)のみで決着がついた。これには村絵のマネージャーの存在が大きく関わっていた。

村絵の現在のマネージャーは嘗て、西子が芸能界に居たときに、西子のマネージャーを務めていたのだった。

事件があった日、遅れて現場に到着したマネージャーは村絵を監禁したのが西子だと知るや文字通りの東奔西走、持てる限りの力を駆使して各方面と折り合いをつけて西子が無罪放免となるよう運動をした。このマネージャーにとって西子は初めてマネージャーとしてついた相手であり、やはり彼にしかわからない思い入れを西子に抱いていたのだろう。

村絵の所属している芸能事務所は示談金ぐらいは請求するべきだと主張したが、マネージャーの粘り強い説得に加え、被害者である羅沢村絵本人もこの件が世間的な話題となることを望んでいなかった為に、西子は事件および逮捕の翌々日には無罪放免となって警察から解放された。これにより、この件はこれ以上の拡がりをみせることなく沈静化した。

その後の西子の行方は杳として知れない。「辞めます。すべてお終いにします」というメッセを清水谷に一方的に送り付けてきたのを最後に西子の消息はふっつりと途絶えた。事件から一年ほど経った頃、アノニマスの活動を報じる海外メディアのニュース映像にガイフォークスのマスクを着用した西子の姿が写り込んでいた、という噂が流れたが真偽の程は定かではなく、またこの後に西子の行方を積極的に探そうとするものも現れなかったために西子の存在はやがて人々から忘れられていった。

清水谷風郎Kazero Shimizudani

この事件を受けて精神を病んでしまった清水谷風郎はこの後二ヶ月ほど休職して入院加療に努めた。その甲斐あって無事に回復し程なくセンターフォンセール南堵洛店にやはり店長として復帰した。

事件を機に西子が居なくなり連絡も途絶えたことは清水谷にとっては好都合であった。西子の存在によって脅かされ、半ば壊れ掛かっていた清水谷の家庭がやがて元通りに修復されたからだ。

とはいえ、事件の直後からしばらくはやはり西子のことが忘れられずその記憶に苦しめられた。そんな自分の未練がましい心根に嫌気が差した清水谷は休職から復帰した直後、催眠療法士に頼んで西子に関する記憶を消してもらった。以来、西子のことは名前を聞いても写真を見ても全く思い出さなくなった。

西子の記憶が消えて以来、清水谷は絶好調である。家庭の円満を回復したことにより仕事も上手く行くようになり、事件から二年が経過する頃にはセンターフォンセール南堵洛店は、マイティメガモール南堵洛の中でも指折りのすぐれた経営状態を誇る店舗となった。その功績が認められ清水谷は事件の一年後に行われた人事異動で、センターフォンセール堵洛支部の統括部長へ昇進することとなる。

清水谷にとって西子が居なくなったことはすなわち疫病神がいなくなったようなものといえるのだが、西子の記憶を消してしまった清水谷は無論そんなことは露程も考えていない。

黒磯針雄Hario Kuroiso

マイティメガモール広報部の黒磯針雄は事件の直後からその収束に走り回った。自分が企画した電気自動車の展示によって起こった事件であり、加えてこれまた自分がテレビ局に話を持ち込んだ『お昼のプランティーノ・買い物番長』の企画にも甚大な迷惑をかけた。それらの責任を痛感した黒磯は事件直後から獅子奮迅の働きを見せる。

連日に渡る警察との遣り取りに始まり、地に墮ちたモールのイメージ回復の為の戦略を練り、更には店の修繕にも時間の許す限り立ち合った。

その甲斐あってモールのイメージは予想していたほどには下がらず、事件から三ヶ月後には客足は完全な回復をするに至った。更には黒磯が打ち出した「マイティメガモール南堵洛"REBORN"」というキャンペーンが、再開発が続く近隣の状況とマッチし、その結果、客足が前年比で三割アップするという好況まで招いた。

黒磯はこの功績が認められ、事件から二年弱が経った2016年春にはマイティメガモール営業本部に栄転し営業本部次長に昇進した。

このように事件を機にすべてが順調にまわり始めた黒磯だが、ひとつだけ引け目を感ずることを抱えていた。それは、マイティメガモール南堵洛のインフォメーションに勤務している女性・菱川ほみ乃と不倫の関係を結んでしまったことだ。二人は事件の収束に奔走する中でいつしか近しい間柄となり、ついには不倫の関係を結ぶことになってしまった。無論、周囲には秘密の関係である。やがて黒磯はこの関係に足下をすくわれることになるのだが、それはまた、別の話である。

萩田蹴子Keriko Hagita

萩田蹴子は事件の後もセンターフォンセール南堵洛店の販売員として勤務した。西子が店から去った為に玉突きの要領で主任の役を拝命することとなったが仕事の内容はそれまでと変わることはなかった。

事件から一年が経った2015年10月、スマホが動かなくなったと修理を依頼してきた男性客があった。蹴子が応対に当たったところトラブル自体は簡単なものでその場で無事に男性客のスマホは再起動した。

しかし蹴子と同年配の男性客はそれからも、さしたる用もないのにたびたび店を訪れては蹴子を誘い出すようになった。いつしか二人は恋人と呼ばれる関係になり遂には婚約をするに至った。

実はこの男性客、年収十億円に上る超資産家の御曹司且つ外資系投資会社の重役で、つまり蹴子はスーパー玉の輿に乗ったのだった。2016年12月、多数の財界人を招いて派手に行われた披露宴を最後に蹴子はセンターフォンセールを寿退社し専業主婦となった。

以来、蹴子は都心の真ん中にある”ヒルズ”と呼ばれる高層建築の上層階でセレブな環境に暮らすこととなったが、一般家庭に育ち地味に暮らしてきた蹴子はこの暮らしに居住まいの悪さを覚えてしまってどうにも堪らない。それを紛らわす為、蹴子は周りのセレブな奥様達の噂話を集めては、誰にも公開していないプライベートなSNS空間にさながら『王様の耳はロバの耳』のように書き散らす日々を送っている。

樺山泥彦Dorohiko Kabayama

樺山泥彦は他局に先駆けて電気自動車事故のスクープ映像をモノにした功績が認められJBSテレビから局長賞を授与された。

事件の翌年、2015年春の人事異動により予てからの念願であった報道局への異動が実現した。以来、平日の夜、日付を跨ぐ時間帯に帯で放送されるニュース番組のディレクターとして気力充実して仕事に邁進した。

しかし好事魔多し、樺山が当たり前のように繰り返してきたFBへの度重なる投稿が、報道に携わる人間に必要とされる情報秘守の観点から問題視されるようになった。報道局のみならずJBSテレビの重役からも直々に訓告を受けたが、妙なところでブライドが高く若者のような血気・反抗心を保っている樺山は、けしてFBへの投稿をやめようとはしなかった。

そうしているうちに樺山と局の関係は日に日に悪化してゆき、2017年11月に樺山は突如として、報道局からJBSテレビ社史編纂室へと異動させられた。つまりは閑職に追いやられたのである。

それでも既にベテランのテレビマンとなっていた樺山は局内の人事がトップの人脈によって激しく動くことを理解していたから、捲土重来を期しつつその日が来るのを待った。しかし2018年4月、報道部の部長に樺山を追いやる急先鋒だった人間が着任するに至り樺山はすべてをあきらめた。

2016年6月にJBSテレビを退社するとすぐにタブロイド判夕刊紙の編集部にフリーのテレビライターとして原稿を寄せ始めた。以来、樺山はテレビ評論家・メディア評論家を生業としてゆくこととなる。

羅沢村絵Murae Rasawa

羅沢村絵は事件の後、急激にそのステータスを上げてゆく。

この事件を大きな話題にはしたくなかった村絵は西子を起訴しないよう自らが所属する事務所に頼んだ。自身のマネージャーも同様に不起訴の方向で話を進めていたために、村絵の望んだ通りの結果を迎えることとなった。

西子を起訴しなかったことで村絵が監禁されたという話はネット上に流れたタチの悪い噂話という印象に終わり、それ以上の拡がりを見せることはなかった。

事件から一年が経過した2015年9月、村絵は年内限定でchu-nicを再結成し昭和後期から平成初期のヒット曲をカバーしたアルバム『日本のchu-nic』を発表した。このアルバムに収められた『人魚』が50万ダウンロード、PVのYouTube再生回数が6000万回をそれぞれ超える大ヒットを記録、その年の紅白歌合戦にすべり込みで出場を果たした。大晦日の東京ドームで完全解散となる年越しライブ(チケットは発売から4分で完売した)を行うと村絵の快進撃が本格的に始まる。

2016年3月に『お昼のプランティーノ・買い物番長』を卒業すると4月に公開された映画『さよなら、があちゃん』に出演した。その演技は高く評価され日本アカデミー賞やブルーリボン賞の最優秀助演女優賞に輝いた。以降、数々のテレビドラマや映画に出演するようになり村絵は女優としてその階段を駆け上がってゆく。

2017年には堀部安兵衛の生涯を描いたNHK大河ドラマ『元禄疾走』で主役の堀部安兵衛の妻、ほりを演じ高い評価を受けた。ほりを演ずる村絵の写真集が紙と電子書籍の両方で売れ続けるなどその人気は社会現象となった。

2018年4月から朝の連続テレビ小説『あかねさす』に主演するとその人気は爆発した。同番組が朝ドラ史上歴代2位となる平均視聴率を叩き出すと、余勢を駆ってその年の紅白歌合戦の赤組司会を務めた。

この頃から村絵は国民的女優と呼ばれ始めた。もう事件のことを話題にするものなどいなかった。

その後も村絵の快進撃は続きテレビドラマ、映画、舞台、声優と活動の幅を拡げてゆき、2010年代以降の日本を代表する女優の一人となった。2019年4月に公開された映画『ペーストライフ』に主演すると、作品と共に村絵の演技は日本のみならず世界各国で高い評価を得た。ベルリン、カンヌ、モントリオールの各映画祭に於て女優賞に輝きその名は世界に轟く。

東京オリンピックイヤーである2020年に公開となるハリウッド制作の大作映画『カズラスキーフィールド』に、複数主役陣の一人としてオファーを受けて出演することとなった。一説にはそのギャランティは2,200万ドルに上ると噂されている。