エピローグ act.3
矢車幸伊知朗Koichirou Yaguruma

警察に逮捕された矢車は程なく書類送検され裁判を受けた。事件から四ヶ月後の2015年1月に懲役3年4ヶ月の実刑判決が下り、控訴もしなかったことから刑が確定した。

矢車の逮捕から、矢車が経営していた株式会社アイアンクローに関係していた人間、つまりは自動車泥棒に関係していた人間が芋蔓式に検挙され、矢車達が築き上げてきた犯罪ネットワークは事実上壊滅することとなった。

東京東都海底拘置所に収監された矢車は同刑務所でも指折りの模範囚として刑期を過ごした。刑務所で暮らした間、迷惑をかける事もかけられることも一切なく、刑務官たちからの評価もすこぶる良かった。しかし模範囚による刑期の短縮などはなく3年4ヶ月の刑期を全うし釈放された。

釈放されてからすぐ、嘗て居酒屋で働いていた頃に出来た僅かな伝手を辿り、とある小料理屋にアルバイト扱いの店員として入店し、そこで下働きのようなことをしながら生活を再建する足がかりとした。

そうして小料理屋で働いていたある日、ちょっとした事件が起こった。その店の常連客であった去る大物企業家、その運転手が店内で突如として体調を崩し救急車で病院に搬送されるというハプニングがあった。その時、小料理屋にいた人間で運転免許を持っており且つアルコールが入っていなかったのが矢車だけだったことから、運転を代行して企業家を送り届けた。すると、運転が上手い上にナビ以上に裏道を知っている矢車(泥棒をしていた頃に身に付けた腕だ)に大いに感心した企業家から、専属の運転手にならないかと誘いを受けた。

矢車は「あなたのような大物企業家の運転手を自分のような前科者が勤めるのは……」と逡巡していたが「君の過去は関係ない。肝心なのはこれからの君の生き方だ」と諭された。その言葉に、嘗て自分を一時ながら全うな道に進めてくれた居酒屋店のオーナーのことを思い出した矢車は、その誘いを受けて大物企業家の運転手になった。

事件から六年が経過した2020年3月、運転手として真面目に働き続けた矢車は大物企業家からの後押しもあって運転代行会社『矢車運転代行社』を設立しその社長となった。

以降、けして大きい商売に打って出ることはないが、堅実で安定した経営を続けている。彼の嘗ての仲間は犯罪の味が忘れられずまたその道に戻ってしまう者も居たが、矢車は二度と犯罪の道には入り込まなかった。彼は生き方を変えていた。もう犯罪者としての顔はどこにもなかった。

轡田靴美Kuysumi Kutsuwada

Kこと轡田靴美は病院に搬送され精密な検査を受けたが思いの外軽症で、四日間の入院だけで退院をすることが出来た。事件から三週間が経過した頃には、こめかみに出来た傷跡も綺麗に消えてしまった。

矢車とは事件の以後は一度もあっていない。事件の続報が報道を通じて聞こえてくる度にそこに描かれる犯人像が、居酒屋を持ちたいと希望に燃えていたあの矢車とは似ても似つかなかった為に、靴美はどうにも収まりが悪いような思いに駆られた。そうして考えれば考えるほどわからなくなってくる。あれは本当に自分が知っていた矢車だったのだろうか……事件からしばらくの間、事あるごとにそんなことを考えて煩悶を繰り返していたが、去る者は日々に疎しでそのうちに考えなくなった。

事件から一ヶ月後の2014年10月には早くも会社員として職場に復帰した。年が明けて翌2015年1月になると靴美の元に思いも寄らぬ話が舞い込んでくる。

それはJBSテレビの報道番組にお天気キャスターとして出てみないかという誘いであった。その誘いはメールで届けられたのだが発信者である樺山泥彦という名前に聞き覚えはなかった。メールを読み進めていくとあのとき事件の現場に『お昼のプランティーノ』の取材クルーとして入っていたと自己紹介が書いてあった。

ああ、そういえばあのときディレクターさんに名刺を渡されたような気がすると思い出して樺山の名刺を探し出すと「お話を聞かせてください」と返信を出した。

そこから話はとんとん拍子に進んでゆく。樺山は靴美を気象予報士が多数在籍している事務所に送り込んだ。靴美はそこで2ヶ月の研修期間のうちに気象予報士の資格を取得した。すると早速、その頃、樺山が担当していた『JBSニュース・昨日の出来事』のお天気キャスターとして平日の五日間、およそ三分間づつ画面に登場して天気予報を読んだ。

樺山の失脚後も靴美は番組に出演を続け、お天気キャスターとしての地歩をじっくりと固めていった。事件から二年が経過する頃にはテレビ、ラジオですっかりおなじみの顔となり、更には天気予報のみならず週刊誌のグラビアを飾るなど活動の幅を拡げてゆく。