■迷惑メールの惨状にビジネスチャンスを見出す
――何故分社化をするに至ったのですか?
山田 母体の「MO-FU」のほうはお陰様で順調そのものだったのですが、新しい事を始めようとするには些か会社の規模が大きくなりすぎていたんですね。社員の数も160人程度まで膨れ上がっていましたし。企業はつねに革新を求めて行かなくてはいけないと、高橋ともつねに話し合っていましたし。そこで「MO-FU」のほうは内之倉に任せ、高橋と私が中心となって当社を起ち上げました。
――チーム・ブランケットは当初から現在のような業務を目的に設立されたのですか?
山田 その通りです。00年というのは、企業は勿論のこと各家庭に、ブロードバンドまでは行かないにせよインターネットの環境があるのが当たり前になっていました。同様にして携帯電話を各個人が持っているのも当たり前となっていました。そうした変化に呼応するように迷惑メールやワンクリック詐欺などの問題が表面化し始めたんですね。これらを犯罪行為として、唾棄すべきものとして切り捨てる事は簡単でしたが、高橋と私はここにビジネスチャンスがあるのではないか、そう考えたんですね。
――しかし、その状況であれば、普通はセキュリティを提供する方面に意識が向かうと思うのですが……。
山田 我が社の社是のひとつに「右といわれたら左を向け」というのがあるんです。皆が右を向いているからといって、左の方角に何もないわけじゃない、右と同じだけのものが必ず潜んでいる筈だ、だから常に視野を広く保っていなくてはいけない、ということなんですよ。
――なるほど。左の方角にはまた違うビジネスチャンスがあったというわけですね。
山田 それにセキュリティをビジネスにするというのは、何やらユーザーの皆さんの恐怖心を煽って商売をするというイメージもありましたので……もちろん、それはそれで必要であり、大変な業務ではあるんですが。いやいや、少し余談が過ぎましたね。
――ではお話を戻させて頂いて(笑)、そうして産まれたのが「より良い宣伝メールの作り方」という概念というわけですね。
山田 電子メールや携帯メールを使う事が当たり前になれば、当然それにあった宣伝広告の方策が産まれると思うんですが、当時、残念な事にまず発達をしたのがいわゆる詐欺等々の犯罪行為に繋がるいわゆる迷惑と呼ばれてしまう宣伝メールでした。これではいけない。電子メールという、嘗て、輝かしい未来の象徴として考えられていたツール、メディアが現実になったいま、こうしたものでこの可能性のある媒体、或いは社会を薄暗いものにしてしまってはいけない……高橋と二人で夜を徹して幾度も語り合ったものです。そこで産み出された結論が「読んだ側が思わず残しておきたくなるような愉快な宣伝メール」でした。貴重な宣伝広告を、単なる迷惑なものとして、読まれもせずにゴミ箱行きにされることに、大いに苦慮なさっている企業の皆さんに対して、真に有用な宣伝ツールとなるものとして御提案する事が出来れば、宣伝メールが、単なる迷惑に留まらず別の価値を生みだすのではないかと思い至ったんですね。また、タイミングのよいことに、メールを使った、DM的な営業活動のやり方に迷われている企業さんの姿も目に耳にしていましたし。やはりこれはチャンスだなと思ってすぐに行動に移しました。
――それまでの迷惑メールとは具体的にどう異なっていたんでしょうか?
山田 当時の状況からご説明いたします。当時、まず始めに横行したのが、それまで流通していた葉書でのDMをそのまま模したものです。文面の非常に固いのが特徴で『御社の資金繰りに有利な御提案をさせて頂きます』といったスタイルのものですね。これは個人向けのものについても同様で、真摯な文面で伝えたい内容を簡潔に、ときには具体的な数値を含めて書き記すものでした。非常に生真面目ではありますが、受け取った方がこれを読みたいと思われますか?
――思わないでしょうね。特に個人の場合は。
山田 ですよね。何やらビジネスソフトを使っていて操作ミスをしたときに表示されるダイアログ・メッセージのようですよね。言ってる事は正しいけれど素直に従おうという気にはならない、みたいな。
――なんだかパソコンに怒られているような、情けない気持になりますよね、あれ(笑)
山田 真摯・生真面目であろうとするあまり読み手に"何だDMか"と思われすぐにゴミ箱行きとなってしまいます。これが会社ではなく個人宛のメールともなれば尚更です。真面目にすればするほど読み手の意識との乖離が生ずる……情報を発信する側は不特定多数に送る事を前提にするため、出来るだけ多くのひとが不快と思わぬようにカッチリとした、行儀の良い文書を作って送るのですが、それを受け取った側は、なにやら自分の個性を認められていないような気持になってしまうのですね。
――十把一絡げにされたように感じるのでしょうか。
山田 そうです。他の誰でもないこの自分、他の人が持っていない私個人のメールアドレスに送られるメールは、すべからく私という個人を尊重したものでなくてはならない、こう思っているものです。
――うーん、確かにそうですね。
山田 そう思っているところへカッチリとした、四角四面な、いかにもDMですよ、と大声で叫んでいるようなメールが送られてきたところで……
――読みませんねやはり(笑)
山田 そうした点から鑑みて、やはりまずするべきはメールの内容を砕けたものに変える事でした。受け取った側が、おや? 友達からのメールかな、と思わず内容を確認してしまうようなものにしました。個人を尊重してもらいたいと思っているところへ、そうした態のメールが届くわけですから、これは見ますよね。
――具体的にどういった部分を変更なさったのでしょう。
山田 いまとなっては当たり前の内容なんですが……まず差し出し人を個人名になるようにします。それまでは当たり前のように企業名を記載していたので、これだけでもグッとDMらしさが小さくなります。
――なるほど。
山田 で、その差し出し人のところに名字のみを記載します。
――名字のみ、ですか? フルネームではないんですか?
山田 そうです。ターゲットとする性別や年齢層にかかわらずメールを読んでもらうためです。なにぶん宣伝ですから、届いたメールを読んでもらわなければ始まりません。名字だけにしておくと、受け取った側が「この佐藤さんはどの佐藤さんだろう」と頭の中で知りあいと一致するように、無意識のうちに検索してくれるんですね。そして、あの佐藤さんかも知れない、と思ってメールを開いてくれるんですね。ところがフルネームですと、知りあいかそうでないかがすぐに断定されてしまいますから。姓名が一致する人なんてそうそういませんからね。
――なるほど、理屈ですねぇ……メールの本文としては如何なものとなるのでしょう。
山田 やはり砕けた文面ですね。いろいろな方策を試しましたが、もっとも有効だったのは口コミのスタイルにする事でした。「このような境遇である私が、これこれといったサービスを受けてみたところ大変に満足した。そこでこれを貴方にも紹介したい」といった内容ですね。それを、宣伝したい商品やサービスが対象とするターゲット層の、一般的な姿に合致する文面で記すんです。年齢や境遇、あるいは趣味志向について近しい人間が称賛し、勧めているのであれば、自分がそれを利用しても同じような満足を得られるはずだ、と多くの人はそう思うものです。人は、まず間違いなく自分の判断を信用しています。その信用している自分と近しい人間の判断は、やはり信用するに値すると思うものです。
――つまり、口コミを信用する人は、究極的には自分を信用している、と。
山田 それは先程も申し上げましたように、個人を尊重してもらいたいと思っているネット・ユーザーの、自尊心に訴えかけることになるんです。
――そういえばある時期からそういう砕けた文面の迷惑メールが増えた印象は受けていました。
山田 おそらくそれは2003年あたりからではないでしょうか? 私どもが本格的にこの分野に参入を果たしたのがその頃でしたから。ところが……。
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